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第3回「かさい歴史倶楽部」は、soraかさい学芸員 森 幸三 氏を講師に迎え「鶉野飛行場跡の今」と題して講義をしていただきました。
鶉野飛行場は、第二次世界大戦が激化し始めたころ、パイロット養成を目的に昭和18年に完成した旧日本海軍の飛行場です。姫路海軍航空隊が開隊され、この場所で多くの若者が飛行機の操縦訓練を実施しました。
はじめに鶉野飛行場跡の歴史についてのビデオを見てから、鶉野フィールドミュージアムについてのお話をしていただきました。
戦時中の地図を見ながら、今も残る戦争遺跡の説明を受けました。昭和23年の空中写真と現在の地図を照らし合わせると、爆弾庫や滑走路があった場所の位置関係がよくわかります。古い地図をデーターで取り込む事で、見たい場所をピンポイントで拡大して細かい部分まで確認する事が出来るようになっていました。
紫電改の組立ては、鶉野で行われていました。川西航空機姫路製作所(現在の播但線京口駅付近)で製造された後に一旦分解され、鶉野工場に運んでから再び組み立てられたそうです。
戦時中のエピソードもいくつか教えていただきました。そのうちの一つに、法華口駅の話もありました。当時この場所では、訓練生と家族の面会が行われていました。我が子に少しでも栄養をつけさせようと親が食料を持って来ては、駅舎で渡して食べさせていたようです。本来ならこういった行為は取締りの対象だったようですが、巡視員は見ない振りをし、その行為を見逃していたというお話も教えていただきました。
現在駅舎は、登録有形文化財に指定されています。他にも鶉野飛行場跡周辺には、機銃座跡や防空壕跡など戦争遺跡が多数点在しています。ガイドマップもありますので、関心のある方は是非回ってみてください。
貴重な資料も見せていただきました。
戦時中の書物や雑誌、紫電改の窓に使われていた防弾ガラスの一部など、貴重なものばかりでした。受講生の皆さんは手に取られたり、内容についての質問もされていました。
戦争体験者が少なくなっている状況の中、当時の体験を記録として残し、先にまで伝えていくことはとても大切なことです。今回の講座では、鶉野飛行場跡の歴史を学ぶことはもちろん、この先私たちが担う役割を考えさせられる講座となりました。