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今から約1300年前に編纂された『播磨国風土記』。奈良時代初期和銅6年(713年)5月の官令により作成が命じられた地誌で、715年頃に編纂されたものと見られています。
各国で作成された『風土記』ですが、現存するのは、常陸国(茨城県)、播磨国、出雲国(島根県)、豊後国(大分県)、肥前国(佐賀県・長崎県)の5か国のみです。現存する風土記の中でも『播磨国風土記』が最も早く完成しました。5か国の『風土記』は、朝廷に提出された原本ではなく,すべて写本で発見されています。『播磨国風土記』の場合は、平安時代後期に書き写されたもので、発見されたのは、江戸時代末期の嘉永5年(1852年)で、京都の公家三条西家から発見されました。現在は天理大学天理図書館で所蔵され、国宝に指定されています。
この日本最古の地誌である『播磨国風土記』には、地名の由来や土地の伝承、土地の肥沃さなどが記されており、当時の生活や文化、自然、人やものの移動など、様々なことをうかがい知ることができます。
ここ加西市も賀毛郡として登場し、根日女伝承の舞台である玉丘古墳をはじめ、ゆかりの地が多数記述されています。
加西市が属するのは賀毛郡です。『播磨国風土記』で、賀毛郡の地名由来には、つがいの鴨が卵を生んだことに因んだとあります。国郡里制が導入され「播磨国」ができたのは大宝律令(701年)の制定からで、『国造本紀』によると、それ以前は「明石国造」「針間国造」「針間鴨国造」という3地域の国造(地域有力者)がいたと記述されています。このことから、かつての播磨地域が3つの国だったと考えられており、播磨国の立国とともに、針間鴨国の一部が国の名前を継承し、賀毛郡になったと考えられています。
『播磨国風土記』の「賀毛郡条」は、賀毛の郡の地名の由来からはじまり、12の里について記述されています。