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播磨国風土記と加西

記事ID:0024042 更新日:2022年4月1日更新 印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示 <外部リンク>

                                                                                                                               玉丘古墳全景

今から約1300年前に編纂された『播磨国風土記』。奈良時代初期和銅6年(713年)5月の官令により作成が命じられた地誌で、715年頃に編纂されたものと見られています。

各国で作成された『風土記』ですが、現存するのは、常陸国(茨城県)、播磨国、出雲国(島根県)、豊後国(大分県)、肥前国(佐賀県・長崎県)の5か国のみです。現存する風土記の中でも『播磨国風土記』が最も早く完成しました。5か国の『風土記』は、朝廷に提出された原本ではなく,すべて写本で発見されています。『播磨国風土記』の場合は、平安時代後期に書き写されたもので、発見されたのは、江戸時代末期の嘉永5年(1852年)で、京都の公家三条西家から発見されました。現在は天理大学天理図書館で所蔵され、国宝に指定されています。

この日本最古の地誌である『播磨国風土記』には、地名の由来や土地の伝承、土地の肥沃さなどが記されており、当時の生活や文化、自然、人やものの移動など、様々なことをうかがい知ることができます。

ここ加西市も賀毛郡として登場し、根日女伝承の舞台である玉丘古墳をはじめ、ゆかりの地が多数記述されています。

根日女伝承についてはこちらから

賀毛郡と12の里

加西市が属するのは賀毛郡です。『播磨国風土記』で、賀毛郡の地名由来には、つがいの鴨が卵を生んだことに因んだとあります。国郡里制が導入され「播磨国」ができたのは大宝律令(701年)の制定からで、『国造本紀』によると、それ以前は「明石国造」「針間国造」「針間鴨国造」という3地域の国造(地域有力者)がいたと記述されています。このことから、かつての播磨地域が3つの国だったと考えられており、播磨国の立国とともに、針間鴨国の一部が国の名前を継承し、賀毛郡になったと考えられています。

『播磨国風土記』の「賀毛郡条」は、賀毛の郡の地名の由来からはじまり、12の里について記述されています。

  • 上鴨の里、下鴨の里(かみがも、しもがものさと): 在田、西在田地区周辺
  • 修布の里(すふのさと):富田地区周辺
  • 三重の里(みえのさと):北条地区から下里川流域
  • 楢原の里(ならはらのさと):富合、九会地区周辺と小野市の来住地区周辺
  • 雲潤の里(うるみのさと):宇仁地区周辺と加東市の一部
  • 河内の里(こうちのさと):日吉地区周辺
  • 川合の里(かわいのさと):小野市の河合地区と富合・九会地区の一部

播磨国風土記ゆかりの地

風土記ゆかりの地マップ

下のマップからスポットの詳細情報をご覧いただけます。

風土記ガイドブック

ねっぴーとフドッキー博士が加西の播磨国風土記を解説するガイドブック

ガイドブック表紙
加西の播磨国風土記について、幅広く市内外の方々に知っていただくために作成しました。
風土記に書かれている比定地の解説、編纂に至るまでのプロセスや時代背景など、様々な見地・文献から古代の加西を解説。
こちらのガイドブックご希望の方は、「ふるさと創造部 文化観光スポーツ課」までお問い合わせください。


播磨国風土記講座
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