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姫路・青野原俘虜収容所 略年表

記事ID:0001812 更新日:2020年11月30日更新 印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示
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1914(大正3)年

7月28日 第一次世界大戦が勃発する。
8月23日 日本がドイツへ宣戦布告する。
11月7日 青島のドイツ軍基地が陥落する。
11月11日 東京、名古屋、大阪、姫路、松山、丸亀、福岡、熊本に捕虜収容所の開設が告示される。
11月20日 広島から鉄道で300名余りの捕虜が姫路に到着する。
11月25日 姫路捕虜収容所内で酒保が開かれる。
11月26日 姫路市の堀市長が3か所の捕虜収容所を慰問する。
12月1日 捕虜の遠足が許可され、姫路城に登城する。
12月2日 大分、徳島、静岡の3市に捕虜収容所の開設が告示される。全国12市となる。
12月25日 収容所内でクリスマスのお祝いが行われる。

1915(大正4)年

1月4日 市川の大日川原へ遠足に行く。この頃から捕虜の職業調査が行われる。
3月19日 船場本徳寺の収容所内で捕虜間の暴行事件が発生する。
4月6日 夢前川の田井河原へ遠足に行く。
6月3日 捕虜移転指令が出され、10日から青野原において収容所の建設が始まる。
6月7日 広峯山へ遠足に行く。
9月 城北練兵場の地均し作業に捕虜が従事する。
9月15日 捕虜に恥辱や不都合を与えないよう注意を促す小野市長の通達が出される。
9月20日 青野原収容所へ移転するため、姫路駅から鉄道で移動する。
9月21日 姫路収容所が閉鎖される。
9月25日 福岡収容所から90名の捕虜が青野原収容所へ移動される。
10月 イストリア・トリエステ・ダルマチア出身者13名が丸亀収容所へ移される。

1916(大正5)年

3月31日 イタリア系捕虜ブルノー・ピンスキーが爆弾の図面を提出する。
11月 福岡収容所から74名が移送されてくる。

1917(大正6)年

10月29日 オーストリア=ハンガリーの利益代表である駐日スペイン公使が青野原収容所を訪問する。

1918(大正7)年

3月 物価高騰により軍靴の修理が多額となったため下駄で代用することになる。
5月 泉平太郎の「発動機の設計及びポンプ製造」工場で捕虜6名が1日7時間勤務する。
5月 酒保を業者による請負販売から捕虜から選ばれた委員4名による委託販売に変更する。
7月10日 捕虜の間で大規模な騒擾事件が起こる。
7月 パンを焼くかまを新設する。以後捕虜自身がパンを焼く。
7月 国際赤十字の代表が青野原収容所を訪問する。
8月2日 久留米収容所の捕虜のうち20名が青野原収容所へ移送されてくる。
11月6日 捕虜が佐保神社を訪れる。
11月9日 インフルエンザによって捕虜製作品展覧会の延期が決定される。
11月11日 第一次世界大戦の休戦条約が調印される。
12月14日 捕虜製作品展覧会が行われる。(19日まで)

1919(大正8)年

2月19日 収容所内でインフルエンザが流行し、捕虜32名が発症する。軍医と看護師にも発症者が出る。
3月30日 収容所で慈善演奏会が開催される。
5月 姫路師範とサッカーの親善試合が行われる。
5月 ヴィクトル・クロブチャルが麦秋の農家を描く。
7月13日 小野中学校とサッカーの親善試合が行われる。
12月5日 クロブチャルを含む「ユーゴスラビア」人捕虜が帰国の途に就く。
12月27日 本国に帰還する捕虜 222 名が神戸から出港する喜福丸に乗船する。

1920(大正9)年

1月23日 7名が青島へ向かうために出発、また7名が国内の工場に就職するために出発する。
1月26日 最後まで残された捕虜123名が送り出される。
1月27日 最後の捕虜が神戸から出港するハドソン丸で帰国、またはオランダ領インド(現在のインドネシア)で警察官になるために出発する。
2月29日 青野原収容所が閉鎖される。


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