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周辺の風景
捕虜たちが訪れた場所の多くは、残された写真の調査によって特定されています。そこから、彼らが青野原俘虜収容所周辺の様々な場所を訪れていたことが分かります。収容所から最も遠い所は、直線距離で10kmほど離れた一乗寺で、捕虜たちは一日がかりの遠足でここを訪れたと思われます。
青野原俘虜収容所周辺地図
100年前と現在
ここからは、調査によって撮影場所が判明している写真を中心に紹介していきます。100年前と現在の様子を見比べてみてください。
左)一乗寺三重塔(ディーター・リンケ氏所蔵)
右)現在の一乗寺三重塔(小野市立好古館撮影)
左)一乗寺入口での記念写真(ディーター・リンケ氏所蔵)
右)現在の一乗寺入口(小野市立好古館撮影)
左)一乗寺石段(本堂下)(ディーター・リンケ氏所蔵)
右)現在の一乗寺石段(本堂下)(小野市立好古館撮影)
左)一乗寺清涼公園と捕虜たち(ディーター・リンケ氏所蔵)
右)一乗寺清涼公園(絵葉書)※写真の左側(個人蔵)
左)一乗寺地蔵院内(ディーター・リンケ氏所蔵)
右)現在の一乗寺地蔵院内(小野市立好古館撮影)
左)大日寺(ディーター・リンケ氏所蔵)
右)現在の大日寺
左)大日寺での集合写真※発見された写真を左右反転しています。(ディーター・リンケ氏所蔵)
右)現在の大日寺
左)奥山寺多宝塔(ディーター・リンケ氏所蔵)
右)現在の奥山寺多宝塔
左)酒見寺従軍記念碑での記念撮影(ディーター・リンケ氏所蔵)
右)現在の酒見寺従軍記念碑
左)乎疑原神社(ディーター・リンケ氏所蔵)
右)現在の乎疑原神社
左)常吉天満神社(ディーター・リンケ氏所蔵)
右)現在の常吉天満神社
左)日吉神社(ディーター・リンケ氏所蔵)
右)現在の日吉神社
左)普光寺(ディーター・リンケ氏所蔵)
右)昭和初年頃の普光寺(「ふるさとの想い出写真集 明治 大正 昭和 加西」(国書刊行会)より)
左)佐保神社楼門(ディーター・リンケ氏所蔵)
右)現在の佐保神社楼門(小野市立好古館撮影)
八志路幼稚園(ディーター・リンケ氏所蔵)
左)闘龍灘(ディーター・リンケ氏所蔵)
右)現在の闘龍灘(小野市立好古館撮影)
左)光明寺常行堂(ディーター・リンケ氏所蔵)
右)現在の光明寺常行堂
左)光明寺大慈院本堂(ディーター・リンケ氏所蔵)
右)現在の光明寺大慈院本堂
小野中学校で柔道を見学する捕虜たち(ハンス=ヨアヒム・シュミット氏提供)
画像:左)明治36年に竣工した寄宿舎 右)小野中学校鳥瞰図(大正10年9月作)
(「百周年記念史誌-兵庫県立小野高等学校」(百周年記念史誌編集委員会編集、百周年記念事業実行委員会発行、平成14年11月)より)