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遠足

記事ID:0001807 更新日:2020年11月30日更新 印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示 <外部リンク>

遠足

青野原収容所では、通常毎週ごとに半日程度の遠足(郊外散歩)が行われており、そして1か月に一度は一日がかりの遠足が行われていました。「ケルステン日記」によると、遠足の参加者は毎回200人ほどで、捕虜たちを警護する衛兵40人と警官20人が随行していました。また遠足に行く捕虜たちの姿も、ハンクシュタインの写真に数多く収められています。

写真:巡礼者と捕虜の隊列
巡礼者と捕虜の隊列(ディーター・リンケ氏所蔵)


写真:捕虜の隊列
捕虜の隊列(ディーター・リンケ氏所蔵)


写真:蓬莱橋(西脇市)を渡る捕虜の隊列
蓬莱橋(西脇市)を渡る捕虜の隊列(ディーター・リンケ氏所蔵)


画像:明治末期の蓬莱橋(絵葉書)
明治末期の蓬莱橋(絵葉書)(小野市立好古館所蔵)

 

捕虜がやってきた前後に東播磨で鉄道・電気事業など近代化に向けたインフラの整備が進められていました。「明治末期の絵葉書」には、電柱がありません。明治44年に東播磨電気株式会社が設立され、明治45年に点灯されました。したがって、その後に訪れた捕虜たちの写真では、電柱を確認することができます。

捕虜たちが遠足などで収容所の外に出かけた際に写したと思われる記念写真もあり、収容所の近隣に住む人々が捕虜たちと交流していたことがうかがわれます。

近隣住民たちとの記念写真
近隣住民たちとの記念写真(ディーター・リンケ氏所蔵)


写真:近隣住民たちとの交流
近隣住民たちとの交流(ディーター・リンケ氏所蔵)


近隣住民たちとの記念写真1
近隣住民たちとの記念写真1(ディーター・リンケ氏所蔵)


近隣住民たちとの記念写真2
近隣住民たちとの記念写真2(ディーター・リンケ氏所蔵)

 

捕虜が撮影した写真の中には、当時の日本の人々の様子を捉えたものも多く含まれています。

写真:日本の女性たち
日本の女性たち(ディーター・リンケ氏所蔵)


写真:電柱が立つ集落
電柱が立つ集落(ディーター・リンケ氏所蔵)


写真:民家の様子
民家の様子(ディーター・リンケ氏所蔵)


写真:地元の子どもたち
地元の子どもたち(ディーター・リンケ氏所蔵)

 


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