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スポーツ
収容所内には、捕虜によってテニスコートやボーリングレーンが作られ、彼らがスポーツに汗を流す姿が写真に残されています。また、体操クラブが設立され、体操大会も定期的に収容所内で行われていたようです。各競技における優勝者には、賞状や賞品が授与されていました。
テニスをする捕虜(ディーター・リンケ氏所蔵)
テニスコート(ディーター・リンケ氏所蔵)
ボーリングレーン(ディーター・リンケ氏所蔵)
棒高跳び(ディーター・リンケ氏所蔵)
組み体操(ディーター・リンケ氏所蔵)
サッカー
屋外スポーツの中でも、サッカーは収容所南の板塀の外で楽しまれていました。「ケルステン日記」には、ケルステン自身も参加した姫路師範学校(神戸大学の前身)のチームとの間で行われた3試合の模様が記されています。
3度ばかり我々は姫路から来た師範学校のチームと青野[原]でサッカーをした。6対0で我々が勝った後、敵方は雪辱を果たそうとした。その機会が来る前に、我々のチーム内でたちの悪い衝突があり、フォワードとゴールキーパーがもはや共にプレーできなくなったので、次は2対2になってしまった。日本人はひどく得意満面になったので、我々のチームのメンバーが変わったとも知らずに、自分たちが勝つに違いないと、第3試合を挑んできた。その間に我々のいさかいは解消していた。かわいそうな日本人、私は彼らのがっかりした顔を決して忘れない。我々は8対0で勝った。私のポジションはセンターハーフだった。
(「ケルステン日記」より)
姫路師範生との記念写真(個人蔵)
写真所蔵者の父親が実際にこの試合に出場していたそうです。写真下に「8-0」というスコアと試合が行われた年月(大正8年5月)が書き添えられています。対戦スコアが「ケルステン日記」の第3試合目の記述と一致しています。この写真により日記にあった試合の年月が判明しました。
当時の写真には、サッカーをする捕虜たちばかりでなく、それを観戦する女性や子どもたちの姿も写し出されています。またサッカーの試合は、旧小野中学校(県立小野高等学校の前身)との間でも行われています(大正8年7月13日)。こうした板塀の外で行われた活動を通じて、捕虜たちは近隣の地域社会と繋がっていたのです。
サッカーをする捕虜たち(ディーター・リンケ氏所蔵)
サッカーを観戦する人々(ディーター・リンケ氏所蔵)