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娯楽
捕虜たちが収容所の生活で不満を持ち、問題を起こすことを避けるため、収容所当局は捕虜たちの生活に配慮していました。捕らわれの日常生活の中でも、捕虜たちが身体的にも精神的にも健康を維持できるように、様々な娯楽が認められていました。バラックの中で、ビリヤードやカード遊びに興じる捕虜たちの姿が写真に残されています。当時使われていたビリヤード台が現存しています。写真やその台を見ると、球を落とすポケットのない台が使われていたようです。また、捕虜たちは新聞や本を取り寄せて読むことも許されていました。
バラック内でビリヤードをする捕虜たち(ディーター・リンケ氏所蔵)
ビリヤードを楽しむ捕虜たち(ディーター・リンケ氏所蔵)
当時使われていたビリヤード台(個人蔵)
東屋
捕虜たちの中には、許可を得て自分用の東屋を建てる者もいました。それぞれ思い思いに花壇や菜園を作ったり、室内に装飾を施したりして、楽しんでいました。さらに鶏、鳩、ウサギといった動物を飼うことも許されていました。ハンクシュタインも自らの東屋を持っていて、そこで友人とビールを飲んでいました。ときにはこうした東屋に多くの仲間が集まり、「バンザイ」と呼ばれていた酒盛りをしていたようです。
豊かになるにつれ、東屋の中でいわゆるバンザイ[ドイツ語のフラーの意]、つまり酒盛りなのだが、それがしばしば行われた。それは静けさを破らない限り、夜まで許された。酒盛りに加わったのは、大抵は8~10人なのだが、彼らのビールがなくなると、酒保係が注文に応じて後からでも補充分を持ってきた。日本の醸造業者は激しい競争にさらされ、あらゆる手段で売り上げを伸ばそうとしていた。一度朝の点呼で1人欠けていたことがあった。彼が朝方までバンザイに参加していたことは知られていた。長いこと探した挙句に、彼がトイレで寝ているのが発見された。滑って床の裂け目に片足がはまってしまい、おそらく足を抜こうとしてそのまま眠ってしまったらしい。ほとんど膝まで糞まみれになっていた彼は、即座に拘禁室に入れられて、そのまま14日間過ごさなければならなかった。処罰されなければならないことはそんなに多くなく、ドイツ的な規律が5年以上にわたる捕虜生活でも確実に守られていた。
(「ケルステン日記」より)
ハンクシュタインの東屋(ディーター・リンケ氏所蔵)
東屋に集まる捕虜たち(ディーター・リンケ氏所蔵)
捕虜の東屋(ディーター・リンケ氏所蔵)