ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 組織でさがす > 教育委員会 > 生涯学習課 > セルビアに対する最後通牒と宣戦布告

本文

セルビアに対する最後通牒と宣戦布告

記事ID:0001793 更新日:2020年11月30日更新 印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示 <外部リンク>

最後通牒

オーストリア=ハンガリー政府は、皇太子暗殺事件を重大な挑発と受け止めました。この事件にセルビア政府も関与しており、セルビア民族主義者の活動がオーストリア=ハンガリー国内の南スラブ地域を脅かしていると考えていました。そこで、オーストリア=ハンガリー政府は、ドイツから支援の確約を得て、国際社会に対しセルビアに責任があることを表明し、セルビア政府に対してさまざまな要求を突きつける「最後通牒」を送付しました。 1914年7月23日にセルビア政府に対して渡された「最後通牒」は、皇太子の暗殺事件に至るまでの経過やその後の対応を挙げて、セルビア政府の不作為を糾弾しています。さらにセルビア政府に対して突きつけた要求は、以下の10項目でした。

  1. 人々がオーストリア=ハンガリーを嫌悪し、軽蔑するよう扇動したり、我らの領土の不可侵性に反対するような、あらゆる出版物を禁止すること。
  2. ナーロドナ・オドブラナ(セルビア国家主義組織)を即時解散させ、そのプロパガンダの手段となっているすべてを没収すること、さらにオーストリア=ハンガリーに敵対するプロパガンダに関わっている、セルビア国内に存在するその他の団体や組織に対しても同様の措置を講じること。
  3. 教師や教材といった、オーストリア=ハンガリーに敵対するプロパガンダにつながる、もしくはつながる恐れのあるすべてのものをセルビアの公的教育から直ちに排除すること。
  4. オーストリア=ハンガリーの不可侵性を脅かすような破壊活動を抑えるために、セルビア国内においてオーストリア=ハンガリー政府の機関が協力するのを認めること。
  5. オーストリア=ハンガリーに敵対するプロパガンダに関わり、その名前の公表をオーストリア=ハンガリーが一任されているすべての将校と役人を軍と行政全般から一掃すること。オーストリア=ハンガリーの不可侵性を脅かすような破壊活動を抑えるために、セルビア国内においてオーストリア=ハンガリー政府の機関が協力するのを認めること。
  6. 6月28日の事件に関与し、セルビア領内にいる者に対する法廷尋問を開始し、その尋問にオーストリア=ハンガリー政府が派遣する機関を参加させること。
  7. 捜査の結果、事件に関与が疑われるヴォヤ(ヴォイスラヴ)・タンコシッチ少佐とミラン・チガノヴィッチと称する官吏を直ちに逮捕すること。
  8. セルビア当局が関与する武器や爆発物の密輸入を阻止するために、有効な措置を講じること。
  9. 国外におけるセルビア高官の目に余る発言に対して釈明をすること。彼らは公的な立場にあるにもかかわらず、6月28日の暗殺事件後にオーストリア=ハンガリーに対して敵意を持って堂々と発言している。
  10. 以上の点を踏まえた措置の実施をオーストリア=ハンガリー政府に遅滞なく通知すること。

セルビアに対する最後通牒の画像
セルビアに対する最後通牒[PDFファイル/148KB](オーストリア大使館提供)

セルビア政府は、これらの要求の多くを受け入れましたが、オーストリア=ハンガリー政府の機関がサラエヴォ事件共犯者の司法手続きに関与することだけは、重大な主権侵害だとして拒否しました。

宣戦布告

オーストリア=ハンガリー政府は、セルビアからの回答に満足せず、セルビアの首都ベオグラードに駐在していた大使ギースルを本国に召還し、1914年7月25日セルビアとの国交断絶に踏み切ります。そして7月27日、共通外相ベルヒトルトは皇帝フランツ=ヨーゼフに「宣戦布告書」の草稿とその認可を求める書簡を送付しました。

今月25日にオーストリア=ハンガリー大使ギースル男爵に届いたセルビア政府の回答は巧みに書かれ、形式的には譲歩しているが、その内容には全く価値がありません。このことに鑑みて、もはや宣戦布告をして立場を鮮明にすることなく、三国協商側が対立を平和的に解決する道を模索しようとすることはあり得ないと判断しております。
また第4軍司令部からの報告によりますと、昨日セルビア軍のドナウ川汽船がテメシュ=クビンで我が軍に砲撃してきたため、我が軍も反撃し、より大きな戦闘が発生したとのことです。これをもって事実上戦端は開かれており、それゆえ国際法上の観点より戦時においてのみ許される活動の自由を軍に与えることが望ましいと思われます。

宣戦布告書(草稿より)の画像
宣戦布告書(草稿より)[PDFファイル/87KB](オーストリア大使館提供)

ベルヒトルトはこの書簡の中で、開戦がやむを得ない結論であることとテメシュ=クビン(現セルビア・コビン)においてすでに戦闘がおきていることについて言及しています。しかしテメシュ=クビンでの戦闘が誤報であることが、遅くとも「宣戦布告書」を送付する前に判明していましたので、実際にセルビアに送付された「宣戦布告書」では、このことに言及した箇所が削除されました。この「宣戦布告書」の修正は皇帝に知らされることはありませんでした。この日、フランツ=ヨーゼフはバート・イシュルにて宣戦布告書に署名をしました。そして7月28日、オーストリア=ハンガリー政府はセルビアに対して宣戦布告をしたのです。

Adobe Reader<外部リンク>

PDF形式のファイルをご覧いただく場合には、Adobe社が提供するAdobe Readerが必要です。
Adobe Readerをお持ちでない方は、バナーのリンク先からダウンロードしてください。(無料)


オススメ
  • 気球の画像
  • 紫電改の画像<外部リンク>
  • 播磨の国風土記の画像