ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 組織でさがす > 教育委員会 > 生涯学習課 > 一乗寺本堂  解体修理

本文

一乗寺本堂  解体修理

記事ID:0001700 更新日:2020年11月30日更新 印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示 <外部リンク>

一乗寺本堂と解体修理について

本堂はいつ建てられたの?

今から約370年前の寛永5年(1628)に、当時の姫路藩主本多忠政公の助けを得て建てられました。材料は遠く九州や四国より瀬戸内海を通り、高砂の浦に陸揚げをし、そこから牛や馬を使いここまで運びました。本堂に使われている材料は、ほとんどが松材を使い、ほんの少し桧材が使われています。古い文書の記録を見ますと寛永4年12月から翌年の1月にかけて高砂の浦に到着した材料を、寛永5年の夏までに寺裏へ運び、同年6月18日に柱建て、7月11日に上棟を終わり、9月26日には本尊をお奉りしたとあります。今回母屋継手で発見された墨書には『寛永4年2月』と書かれていましたので記録とは多少時間差がありますが、この頃には本堂を造る準備をしていたと思われます。

今の本堂が建てられる前は?

現在の本堂は4代目です。一番最初の本堂についてはなんの史料もないのですが、本堂下に建っている国宝の三重塔は平安時代末期の承安元年(1171)に建てられたことが判っています。この時に本尊を奉る建物いわゆる寺の中心的な本堂が無かったとは考えられませんので、これを1代目とします。2代目は鎌倉時代末期の正和年中(1312~16)に工事が始まり建武2年(1335)年に落慶式を行った、2階建て9間の大きな講堂(本堂)であったと記録に残っています。3代目は2代目の講堂が大永3年(1523)山名氏の兵火にかかり諸堂と共に焼けたので、赤松義祐が永禄5年(1562)に諸堂を再興したと一乗寺では伝えています。今回の工事中に天正20年(1592)銘の瓦が地中より発見されています。そしてこの3代目の本堂も元和3年(1617)正月7日に鬼追式の夜、失火により本堂・鐘楼が全焼してしまいました。このため現在の本堂が4代目としてここに建てられました。

本堂の大きさは?

本堂の大きさは?正面図 東側面図 桁行断面図 平面図

桁行9間 約23m 建物を正面から見て、一番右の柱から一番左の柱までの長さです。
柱と柱の間が9個あります。
梁行8間 約20m 建物を正面から見て、一番前の柱から一番後ろの柱までの長さです。
柱と柱の間が8個あります。
高さ 約17.5m 柱の一番下から棟の一番上までの長さです。
平面積 約461平方メートル 一番外側の柱の内側の面積です。
屋根面積 約930平方メートル 瓦を葺いている面積です。
柱の大きさ 外側の柱の直径は約40cm、長さが約5.6m。
建物の中にある柱の直径は約45.5cm、長さが約6.1mあります。
床板の大きさ 建物の中に敷いてある板の幅は一枚当り約33cm、厚さが約4.2cm、長さが5mのものを
使っています。
化粧垂木 化粧垂木とは雨が直接建物に当たらないように、一番外側の柱から外に延びる太い棒
のようなもので2段にずらして重ねて、傘の骨の役目をする材料です。
この大きさは幅約8cm、厚さ約10cm、この建物で約1,100本使われています。
敷居 建具を受けるための横木です。
幅約23cm、厚さ約8.5cm、長さ約2.1m
鴨居 敷居の真上にあり建具を支えるための横木です。
幅約23cm、厚さ約11.5cm、長さ約2.1m
中敷居 敷居と同じですが、普通の敷居よりも少し高い位置にあります。
幅約21cm、厚さ約24cm、長さ約2.1m

完成するまであと何年かかるの?

平成10年9月22日に上陸した台風7号は、奈良県室生寺の五重塔を初め近畿圏で猛威を振るい国宝・重要文化財の建物に大きな被害をもたらしました。本堂もこの台風により、屋根・小屋組などに被害を受け、平成11年1月より災害復旧工事として翌年2月まで修理工事を行っていましたが、大規模な修理を一度も行わず現在まで至ったため、柱・梁・貫などに蟻害・腐朽が大きく進行し、このままの状態では建物の損壊を招く危険があると判断され、平成12年5月より平成19年12月までの予定で新たに保存修理工事として根本修理を行っています。

国宝・重要文化財(建造物)の修理とはどのようなことをするの?

今回の工事では半解体修理という、すべてを解体しないで傷んだ部分だけを解体し組み直す修理方法を取っています。 災害復旧工事により軒まで解体した本堂は、今後内部の柱を残してその他をすべて解体します。
一般的に解体するということは壊すことを言い、解体した材料を再使用することはあまり考えていませんが、重要文化財の修理では基本的に出来るだけ使われていた材料は採用する事が前提になっています。 そのため一つの部材には番付札(解体した場所が判る札)を必ず一枚は張り付けて解体し、解体した部材は一つずつ調査をします。一例として木材の材料の調査について簡単に説明すると、最初に材料の寸法を測り、材料の種類・品位(材料の品質)・どんな工具で加工されているか、材料の再用・取替の判断および補修方法、継手、仕口の実測、材料の時代別判断と多岐にわたり、この様な調査を瓦・金具・石・壁などにおいても行い、そしてこの本堂がどのような寸法・工法・仕様で造られたのかを調べます。また、現在に至るまでの本堂の修理の歴史を痕跡や仕事の手法などにより明らかにし、それぞれの時代にどのような修理がなされ、また増改築が行われてきたかを解明します。
以上のようなことを綿密に調査・記録・写真を取りながら本堂の解体と同時に進めます。そして、今まで調査した結果をまとめ、工事が完了したあとに「修理工事報告書」という本を作ります。

本堂解体(写真) 側柱解体(写真) 揚屋工事(写真)

これからの予定は?

解体工事完了後に本堂下の発掘調査を行いました。引き続き基礎工事にかかり、その間大工さんたちは原寸引付(実物大の図面を書くこと)・木材の繕いなどを行い、また取り替える材料の加工をして、組み立てる準備をしています。そして平成14年度から、解体した順番と逆の順番で組み立てを行い、瓦を葺いて、素屋根(本堂を覆う仮設の建物)を解体して完成します。

今までの調査でわかったことは?

年号 元号 本堂の出来事 備考
1627 寛永4年 本堂材料加工 母屋継手墨書
1628 寛永5年 本堂立柱・上棟・本尊遷座 法華山諸堂記
1629 寛永6年 須弥壇金具寄進 須弥壇飾金具
1646 正保3年 宮殿再建 棟札
1659 万治2年 宮殿茅負飾金具寄進 飾金具刻銘
1711 正徳元年 縁板前半分張替・宮殿補修 墨書
1724 享保9年 屋根部分葺替 瓦刻銘
1760
 ∫
1779
宝暦10年
  ∫
安永8年
屋根全面葺替・軒補修・東側脇壇増設 鬼瓦・化粧隅木墨書
脇壇束墨書 
修理札
1856 安政3年 西側脇壇増設  
1934
 ∫
1935
昭和9年
  ∫
昭和10年
屋根背面および西面葺替
縁板・縁組補修
棟札
1957 昭和32年 屋根正面葺替 棟札

このページは平成12年10月21日・22日に実施しました、解体修理現場公開時の資料を元に作成しました。
資料提供:宗教法人 一乗寺、(財)文化財建造物保存技術協会


オススメ
  • 気球の画像
  • 紫電改の画像<外部リンク>
  • 播磨の国風土記の画像