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指定文化財 一乗寺本堂 一乗寺本堂現地説明会資料 

記事ID:0001694 更新日:2020年11月30日更新 印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示 <外部リンク>

一乗寺本堂現地説明会資料

1.はじめに

兵庫県加西市坂本町に所在します一乗寺本堂は寛永5年(1628)に再建された9間×8間規模の建造物で、国指定の重要文化財となっています。 本堂は平成11年~19年にかけての予定で保存修理工事が進められており、現在、解体工事まで終了しております。今後、基礎工事が行われる予定ですが、この工事に先立ち、平成13年6月から本堂下の発掘調査を実施しております。 調査は礎石部分を保存するため、調査区として8本の細長いトレンチを設定し、約200平方メートルを発掘いたしましたところ、数多くの貴重な成果が得られました。調査はまだ途中ではありますが、ここに成果の一部を紹介いたします。

2.調査の成果

現在の一乗寺本堂は寛永5年(1628)に再建された建造物ですが、文献によると4代目の本堂となります。以下、現代から過去へ時代をさかのぼりながら成果を紹介させていただきます。

(1)現在の本堂(4代目)に関する成果

  1. 現在の本堂は、焼け落ちた前代の本堂を基壇周囲の低い部分に片づけ、その上に幾度か整地土を置き、現在の基壇を築成しています。片づけられた炭層からは大量の焼けた瓦や土器、本堂の炭化部材等が出土しています。
  2. 整地土をはがした段階で、本堂再建時の足場柱穴が17ケ所、掘立柱建物を構成すると考えられる柱穴が12ケ所見つかりました。
    この建物は元和3年(1617)に本堂が焼失して以後、寛永5年(1628)に再建されるまでの短期間に使用された建物と考えられますが、文献にも記載されておらず、用途はわかりません。
    仮本堂や本堂再建のための作業小屋なども想定されますが、建物規模や位置などから不自然さもあり、現段階では謎の建物としかいえません。

(2)旧本堂(3代目)に関する成果

  1. 元和3年(1617)の焼失時の基壇面が、火を受けて赤化した状態で発見されました。
  2. 発見された礎石ならびに礎石抜き取り穴の配置から、焼失した旧本堂〔永禄5年(1562)に再興された3代目本堂〕は7間×6間(もしくは7間)規模の本堂であったことが判明しました。
  3. 旧本堂の築成された基壇の整地土から鎌倉時代~室町時代の土器が大量に出土しました。現本堂と同じように周囲の低い部分に片づけを行い整地したことがうかがえます。
  4. 残っていた焼土から古地磁気測定を現在依頼しています。その結果が出れば、文献に記された年代が理科学的にも証明されるかもしれません。

(3)3代目本堂以前に関する成果

  1. 旧本堂(3代目)基壇整地土下から柱穴、石敷き遺構が発見されましたが、正確な時期や性格などについてはわかりません。
  2. 旧本堂基壇整地土から出土した土器の中に東海産と考えられる四耳壷(蔵骨器)や周辺の集落遺跡ではあまり出土しない土師器杯などがありました。
  3. 現本堂の炭層から奈良時代の須恵器2点が出土しました。

3.まとめ

  • 文献に記載された室町時代末頃再建の本堂(推定7間×6(7)間規 模)が火災痕跡とともに発見されました。建物規模など新知見が得られたほか、整地土から出土した土器なども含めて、文献を裏付ける貴重な発掘資料がえられました。
  • 本堂焼失から再建までの間に掘立柱建物が建てられていたことが判明しました。本堂再建の変遷をうかがえる新知見でありますが、その性格付けなど、大きな課題が残されています。
  • 新たに奈良時代の土器が発見されました。寺の存在を示す遺物ではありませんが、この地での生活の痕跡が奈良時代にまでさかのぼれることは間違いありません。
  • 最後になりましたが、調査に御協力いただきました宗教法人 一乗寺、(財)文化財建造物保存技術協会、工事関係の方々には厚くお礼申し上げます。

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