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国指定文化財 玉丘古墳群

記事ID:0001692 更新日:2020年11月30日更新 印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示 <外部リンク>

国指定文化財 玉丘古墳群の全景

  • 名称 玉丘古墳群/たまおかこふんぐん
  • 種別 史跡
  • 指定年月日 昭和18年9月8日、昭和53年9月18日
  • 員数 10基
  • 時代 古墳時代中期
  • 所在地 玉丘町

玉丘古墳

全長約109m、前方部幅約54m、後円部径約64mの兵庫県下5番目の規模をもつ古墳時代中期の前方後円墳です。墳丘は、3段築成からなります。後円部中央には、盗掘穴があき、穴底に凝灰岩製の長持ち形石棺材が残っています。墳丘くびれ部の一方には、造出し部が確認でき、凝灰岩の葺石が残っています。墳丘周囲には、幅約20mの周濠が巡り、外堤には円筒埴輪が樹立していたようです。出土遺物には、家形・鶏形埴輪のほか多数の円筒埴輪が出土しています。 『播磨国風土記』賀毛郡の条に記載された根日女悲恋伝承の舞台として知られています。

陪塚第1号墳・第2号墳

陪塚第1号墳は、径約25mの円墳と考えられていますが、東側の方丘部とをあわせて前方後円墳とする説もあります。墳丘中央には、盗掘穴があいています。周濠は、改変が著しく、墳丘裾には葺石がかろうじて残っています。陪塚第2号墳は、玉丘古墳をはさみ、西と東の対の位置にあります。墳丘は、大きく削られていますが、幅約4mの溝が墳丘周囲を方形に巡り、一辺長約24mの方墳であることがわかりました。周濠からは、埴輪と凝灰岩片が出土し古墳時代中期の古墳であることがわかりました。

クワンス塚古墳

玉丘古墳の西約170mに位置する径約35mの古墳時代中期の円墳です。墳丘には、方形の造出し部が付き、墳丘は2段の盛土からなります。墳頂及びテラスには、円筒埴輪等の埴輪が巡り、斜面及び墳丘裾に凝灰岩の石材を用いた葺石が残っています。墳頂には、割竹形木棺を納めたと考えられる竪穴式石槨が残っていますが、同施設の石材が多数抜き去られ大半の副葬品も、その時になくなったものと考えられます。副葬品には、三角板革綴じ短甲・剣・直刀・鉾等の武具、斧等の農工具があります。造出し部からは、鶏形埴輪等の形象埴輪、土器類の他に杵形・突起付棒形・棒形・円盤形・籠目形等の土製品が出土しています。

壇塔山(だんとうやま)古墳

玉丘古墳の南東約110mに位置する径約17mの古墳時代中期の円墳です。主体部、墳丘施設等の施設については不明ですが、墳丘周囲に巡る幅約3mの周溝から埴輪片が出土しています。壇塔山古墳に隣接する芳ヶ端下1号墳は径約18mの古墳時代後期の円墳もしくは方墳に考えています。墳丘の改変は著しいものの、横穴式石室が南に向かって開口することがわかりました。しかし、石室の天井をはじめ使用石材の大半が抜き去られています。

マンジュウ古墳

墳丘長約46m、後円部径約39m、前方部幅約26mの古墳時代中期の帆立貝式墳ですが、墳丘の大部分が削られ古墳の形をかろうじて残す程度です。しかし、南側のくびれ部には、造出し部が付き、墳丘は2段以上の盛土からなっていたことが古写真から判明しました。また、墳丘には埴輪も巡っていたことがわかっています。墳丘周囲には、幅10m前後の周濠と周庭帯が残っています。一方、古墳周囲には、一辺長約10mの小型の方墳や径約24mの円墳が存在していたことがわかりました。写真上方に見えるこんもりした藪も史跡逆(さかさ)古墳ですが、詳細な内容はわかっていません。

笹塚古墳

前方部を東に向けた全長約51m、墳丘径約43m、前方部幅約16mの古墳時代後期と考えられる帆立貝式墳です。削られた墳丘の頂上には、竪穴式石槨が露頭し天井石等が落下しています。また墳丘裾には、方形の造出し部が設けられていましたが、その形を僅かにとどめるまで削られていました。墳丘周囲には、幅約10mの周濠が巡り、周濠の埋土からは、円筒埴輪片に混じり人物等の形象埴輪が出土しています。


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