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酒見寺鐘楼 解体修理
酒見寺鐘楼と解体修理について
平成14年4月から着手された鐘楼の解体修理工事が平成17年9月に完了いたしました。
酒見寺の沿革
酒見寺(さがみじ)は泉生山(せんしょうざん)と号し、十一面観音菩薩を本尊とする真言宗寺院です。 その創立については『寺記』などでは、天平17年(745)に行基が開祖したと伝えられています。その 後、天正の兵乱(三木の合戦)(1578)により伽藍は焼失しました。慶安3年(1650)に酒見寺の塔頭寺 院のひとつである実相院の隆恵(りゅうえ)が姫路城主本多氏の勧進を得て、伽藍を再建しています。 そのために、酒見寺では隆恵をもって中興の祖としています。当時は、実相院のほかに修善院、 心王院、普門院、遍照院、明王院、常楽院、浄泉院の七院を存していたが、明治以降一山一院に 統合されました。現在、境内には本堂、多宝塔(重要文化財)、鐘楼(県指定文化財)、楼門(市指定 文化財)、常行堂、御影堂、新観音堂、地蔵堂、毘沙門堂、弁天堂が建ち並んでおり、多宝塔、鐘 楼は、その当時に再建されたものです。
今回の修理
鐘楼は、寛文4年(1664)に建てられた後、元文4年(1739)に修理が行われたものの、それ以降は 大規模な修理も行われず現在まで至ったため、屋根瓦がずれて雨漏りがひどく、小屋組、軒廻り 等の腐朽が著しく、早急な修理が必要となっていました。今回の工事では全解体修理という方法で工事が進められました。全解体修理とは各部材を丁寧に取外し、使える部材は再利用し、腐朽した部分は修理します。そして解体した順番と逆の順番で組立を行っていく修理です。一般的に解体するということは取壊してしまうというイメージですが、文化財の修理では、基本的に使われていた材料や部材を再利用することが前提になっています。そのため、部材ひとつひとつに番付札(解体した部材の位置を示す札)を取付け、解体した部材はひとつずつ調査を行います。瓦では各寸法を測り、つくられた時代の種別をします。木材の材料では、各寸法を測り、材料の種類、どんな種類の工具で加工されているかを調べ、材料の腐朽の度合いにより再用、補修、取替を区別します。また継手、仕口を測り、材料の時代別判断を行います。これらの調査により創建当初どのような寸法・工法・仕様で造られたのか、その後いつ、どのような修理が行われたかを解明します。最後に今まで調査した結果をまとめ今回の二事の記録として「修理工事報告書」という本を作ります。
鐘楼の建物概要
構造形式 | 桁行三間、梁間二問、袴腰付 | 屋根は入母屋造、本瓦葺 |
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建築年代 | 寛文4年(1664) | (軒廻り部材の墨書、鬼瓦の刻印) |
指定区分 | 兵庫県指定文化財 | 昭和47年3月24日指定 |
建物規模 | 桁行の長さ | 下層 約3.9m、上層 約3.7m |
梁間の長さ | 下層 約2.8m、上層 約2.5m | |
高 さ | 約8.4m (下層柱下から棟の一番上までの距離です。) | |
平面積 | 約10.8平方メートル (3.3坪) (下層の外周の柱で囲まれた面積です。) | |
屋根面積 | 約78平方メートル (23.6坪) (瓦を葺いている面積です。) | |
梵鐘 | (県指定文化財工芸品) 総高さ 1.11m 口径 49cm |
この鐘には刻銘があり、貞治3年(1364)、藤原某など 諸旦那が施主となり河内の国の大工 平盛光が鋳造 し、酒見寺に奉納していることがわかります。 |
外部の白っぽくなっているのは?
鐘楼外部の柱、斗組(柱の上に軒を支える部材)、軒廻り等には彩色が行われていることがわか りました。現在は、変色、剥落等により当時の華麗な姿は見ることができませんが、部分的に彩色 の痕跡を残しています。これらを調査した結果、袴腰から上から軒廻りまで彩色が行われており、 例えば柱は丹(に)塗り、斗組には極彩色(ごくさいしき)(幾何学紋様等に繧繝彩色(うんげんさいしき)※1 を施すこと)という方法で彩色が行われていたことがわかりました。目視でわからない色や紋様は斜 光ライトという機械や赤外線カメラを使用し、残っている顔料を採取して分析する等の調査を行って います。
※1 繧繝彩色:濃色から淡色までを三段階または五段階に次第に濃度を変化させ、それに白色の層 も加えて、同系色の調和を生かした塗方。 上記の内容は平成15年7月20日に実施しました、解体修理現場公開時の資料を元に作成しました。
修理前と竣工時の主な変更内容
今回の工事で行った建物の解体中の調査により、この鐘楼がいつ建てられ、今目に至るまでの間 にいつどのような修理が行われ、どのような改造が行われたのかが明らかとなりました。そこで、県、 市の指導を受け、所有者と協議した結果、全体としては寛文4年(1664)の再建当初の姿に戻すことと なりました。その主な変更内容は次のとおりです。
- 彩色を復元する。
再建当初の鐘楼には、下層の台輪から上層の丸桁までと妻部に極彩色が施されていました。それ ら当初の彩色は比較的残存状態がよく、解体前、解体中の調査で概ね当初の文様が判明し、その 結果に基づいて復元図を作成し、彩色を復元しました。一部配色の不明な箇所にっいては、多宝塔 ほかの類例を参考に推定しました。 - 北面出入口を撤去するとともに、南面出入口を旧規の高さに復し、袴腰を整備する。
袴腰の控柱には当初材、元文期の材が残り、下層柱頂部の和釘跡から当初の取付け位置が判明 しました。控柱の取付け位置と切縮められた足元は旧状に戻し、南側出入口もそれに伴い旧規の寸 法に復しました。北面の出入口は、明らかに近年の改造によるものであったため、今回の工事では撤 去しました。 - 階段口の床組を復し、階段廻りを整備する。
修理前の鐘楼には上層へ上る木階段が取付けられており、階段口廻りの床板及び根太には切断し た痕跡が確認され、階段口が南側に広げられたことが判りました。また、階段の北側及び西側の間 仕切壁も袴腰壁板を転用した近年の改造であることが明らかとなり、既存の階段は撤去し、階段口 も当初に復しました。 - 野地を竹小舞から野小舞に復する。
修理前の屋根の野地は竹小舞で、野垂木には当初材と元文期の材がありました。野垂木上端の釘 跡から、竹小舞野地が元文期の修理時のものであることと、当初の野地が野小舞であったことが判 ったので旧状に復しました。土居葺については、当初材が残存していなかったので、多宝塔に倣い整 備しました。
上記の内容は平成17年6月18日に実施しました、解体修理現場公開時の資料を元に作成しました。
資料提供: (宗教法人 酒見寺、(財)建築研究協会)