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文化財調査 マンジュウ古墳
マンジュウ古墳現地説明会資料
平成16年1月10日
はじめに
マンジュウ古墳は玉丘古墳群として史跡指定(昭和53年9月18日指定)されている10基の古墳の内のひとつです。教育委員会では平成14年度から2カ年計画で古墳の規模や形状を知るための確認調査を実施しています。第1次確認調査を平成15年2月~3月に、第2次確認調査を平成15年12月から行ってきましたが、調査も終了に近づきましたので、その成果の一部を紹介いたします。
玉丘古墳群について
加西市には古墳時代(約1700年~1300年前)に築かれた古墳が多数あります。中でも「玉丘古墳群」は古墳時代中期(約1600年前)の大規模古墳が集中して築かれた古墳群であります。
玉丘古墳群の中で一番早く築造されたのは一番大きな玉丘古墳(前方後円墳)です。その後、クワンス塚古墳(円墳)、笹塚古墳(帆立貝式古墳)、小山古墳(前方後円墳)、マンジュウ古墳(帆立貝式古墳)などの古墳が築造されていきます。また、これらの古墳の周りにも小さなな古墳があり、いくつかのグループを形成している様子が推測できます。マンジュウ古墳の周りにも黒福1号墳、2号墳が確認されています。
マンジュウ古墳の現状と調査方法
古墳は築造当初の様子をそのまま留めていることがほとんどありません。大多数は現在にいたるまで、何らかの改変をうけています。今回調査されたマンジュウ古墳も例外ではなく、土取りやその後の土地利用によって、墳丘部はほとんど削り取られ、被葬者が葬られていた部分(主体部)は失われていました。
調査は古墳の中心から放射状に20ヶ所の調査トレンチ(発掘調査区)を設定して、一部を拡張しながら、古墳の規模や形状を確認していきました。
平成14年度は古墳の南半分、前方部と造り出し部に位置する場所で10ヶ所のトレンチ調査を、平成15年度は古墳の北半分、周濠ならびに、墳丘部に位置する場所で10ヶ所のトレンチ調査を実施しています。
マンジュウ古墳の調査成果
(1)墳形 帆立貝式古墳(前方部左側に造り出し部あり)2段築成か?
(2)規模 墳丘部 全長 約46m
- 後円部径40m、上段部径28m
- テラス幅3m前後
- 前方部幅26m、前方部長8m、くびれ部幅20m
- 造り出し部幅7m、造り出し部長6m
(3)外部施設(周濠)
- 平面楕円形、周濠幅7m~10m
(4)外部施設(葺石)
- 基底石(葺石の最下段の大きな石)50cm前後
- 葺石 10~20cm前後
- 調査では前方部からくびれ部の葺石基底石(第1次調査)、墳丘上段部の葺石基石(第2次調査)が確認されました。
- 基底石はきれいな円弧を描くのではなく、数mの短い直線上に並べられています。
(5)外部施設(埴輪列)
- 円筒埴輪 1段目テラス上に円筒埴輪列
- 調査ではテラスの葺石基石から外側約2mのところに基石の並びに沿って円筒埴輪列が確認されました。確認できた個体数は20個体で、浅く掘られた溝のなかに円筒埴輪の底部だけが残っていました。
- 円筒埴輪は直径20cm前後の大きさで、間隔無く密接して並べられています。埴輪は直径の大小、硬質、軟質の違いなどがあり、何らかの使用方法の違いがあったのかもしれません。
(6)遺物 遺物は主に周濠内とテラス上で見つかりました。
- 円筒埴輪 窯焼成の埴輪で、表面にハケやタガの調整が比較的明瞭に残っているものと、表面がボロボロになっているもの(硬質、軟質)に大別できます。
- 形象埴輪 動物埴輪など
- 須恵器 甕の口縁部など
(7)時期 5世紀中頃~後半
おわりに
今回の調査では、古墳が後世の土地利用によって大きく改変を受けていたにもかかわらず、葺石基底石や埴輪列が確認されるなど、予想以上の成果を得ることが出来ました。調査は、測量図作製などがまだ残されていますが、測量成果などの整理作業により、マンジュウ古墳の当初の様子が推定復元できる状況になりました。
今回得られた成果は、今後の史跡整備事業の基礎資料として活用して参ります。