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令和3年7月1日
液晶テレビの製造などに欠かせない化学合成の手法を発見して、2010年にノーベル化学賞を授与された根岸英一さん(85歳)が、6月6日、アメリカ、インディアナ州でお亡くなりになりました。私は仕事でも何度もお目にかかり、奥様ともども京都の名刹を訪ねたり、とても可愛がっていただきました。
根岸先生はノーベル賞受賞後、「どんな教育をすれば先生のようになれるのか?」と大勢から質問されたそうです。けれど、子どものころに英才教育を受けたこともないし、小学校から帰ると、家で飼っていたウサギやニワトリのエサを探しに、山や野原を駆け回っていたそうです。そして、入学した湘南高校1年生の成績は400人中123番。「40番以内に入らなければ東大合格は無理だ」と担任に宣告されました。
「その時が、僕の人生最初の転機だった」と根岸先生はたびたびおっしゃいました。突然、東大進学を志した15歳の根岸クンは、こう考えました。「上から数えれば123番だけれど、僕の後ろに200人以上もいるじゃないか。よし、やってみよう」
根岸クンが毎日心掛けたのは、予習でした。「毎朝1時間ほど早く登校して図書室に行き、その日の予習をし、時間があれば百科事典を読みました。百科事典って知識の宝庫。面白いんだよね」早朝の図書室効果は結構早く現れ、ちょっと予習をするだけで、それまで身が入っていなかった授業ががぜん面白くなり、2年生では9番になったそうです。
「ターニングポイントは、いつも悩みや苦しみとともに訪れます。でも、マイナスの裏には必ずプラスがあるんです。自分自身でそのプラスを発見して、自分の力に変えていけるかどうか。転機の際には、それが試されるのだと思います」
この世ではお目にかかれなくなってしまった根岸先生。私はいま、いつも穏やかでにこやかだった世界的な学者の、言葉の奥にある教えをかみしめています。