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令和4年3月18日
第6回「加西能」のチケットが発売されました。コロナウィルス禍で、第5回が1年延期されたりしましたが、初めて加西市で本格的な能公演が行われたのは2015(平成27)年5月4日だったので、すでに8年が過ぎました。
平成27年に、日本最古の地誌である『播磨国風土記』が編纂1300 年を迎えることから、「加西市播磨国風土記1300 年祭」を開催することになりました。狂言師の野村萬斎さんに新作のこども狂言を監修していただき、哲学者の梅原猛さんに新作能を書き下ろしていただいて、「1300 年祭」で発表することになったのです。新作能『針間(はりま)』の出演者は人間国宝の大槻文蔵、梅若玄祥、観世流銕之丞家当主の観世銕之丞、日本を代表する笛方で藤田流宗家の藤田六郎兵衛ほか、超のつく日本能楽界の至芸が、玉丘史跡公園の特設舞台に勢ぞろいしました。まず住吉神社の龍王舞や、東光寺の田遊び・鬼追いなどの加西の伝統芸能が披露され、高円宮妃久子殿下ご臨席。梅原先生も高齢を押して京都から駆けつけてくださり、市内外の3500人が日本の伝統芸能を堪能しました。
そうした経緯でできた新作こども狂言『根日女(ねひめ)』。そのヒロインは、『播磨国風土記』に登場する美しい娘で、この娘をひと目見ようとやってきた兄弟オケとヲケとの間に恋が芽生えました。この伝承は、ここ播磨の地と古代ヤマト王権に強い結びつきがあったことを物語っています。この兄弟は後に仁賢(にんけん)天皇、顕宗(けんぞう)天皇としてヤマト政権で即位するからです。また「根日女」の舞台とされる玉丘古墳は、兵庫県下6番目の規模をほこる前方後円墳で、この地に強い権力を持つ首長がいたことを裏付けています。1500年も前、私たちの故郷加西は、結構すごいところだったんです。
今年、第六回「加西能」の演目は、狂言「樋の酒」と能「三輪」です。私はこの能がここ加西で演じられることに、運命的なものを感じています。私たち播磨平野で育ったものにとって、馴染みすぎるくらい慣れ親しんでいる「大歳(おおとし)さん」は、じつは播磨からヤマトに行かれ、死後「オオモノヌシ」として奈良県桜井市の三輪山に鎮まっていらっしゃる神さまだろうといわれています。能「三輪」では、その三輪の神と伊勢の神が一心同体だと謡われています。
「思えば伊勢と三輪の神、一体分身のおん事、今さら何と磐座(いわくら)や」
この能は、世阿弥が能を大成するより前に成立したと思われます。つまり、700年ほど前の日本では、伊勢の神は、三輪山の神(大歳の神=オオモノヌシ)と一心同体で、それは、「言うまでもないこと」だった——。それを知ったとき私は、「大歳さんって、すごい神さんなんや!」と衝撃を覚えました。若き日のオオモノヌシといわれる「大歳さん」。その心の故郷だからこそ、私たちの住む播磨平野には、無数の大歳神社が今も祀られている。この「大歳さん」に手を合わせながら、私たちは大きくなりました。
この8年の間に、加西市の「こども狂言塾」のために東奔西走してくださった藤田六郎兵衛師も、能「針間」を書き起こしてくださった梅原猛先生も、彼岸へ旅立たれました。けれども、その遺志は今年も子どもたちの晴れやかな声や所作に息づいて、現代の播磨の地に根付こうとしています。