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令和3年9月23日
緊急事態宣言下で、2学期が始まりました。教育委員会はもちろん、教職員や家庭、地域が協力し合い、これまでに得た知恵と見識を駆使しながら、明るく楽しい「WITHコロナ」の学校生活を確保したいと切望しています。
ところで、8月の終盤、つまり夏休みが終わる前の2週間は教育委員会、特に学校教育課と教育センターは大忙しの状況が続きました。もちろん小・中学校の先生方も大忙しです。
「学校の先生はええなあ、夏休みがあるもん」
そう思っている人は多いと思いますが、じつは「夏休み」は、学校の「休業日」。授業をしないので生徒は学校へ行かなくてもいいのですが、教職員は他の月と同様に出勤しています。ちなみに、法律で決まっている「教職員の夏休み」は5日間です。というわけで8月には、教職員向けの「研修会」や「講習会」がこの時ばかりと開かれます。1日に2会場を回っている先生もいるほどで、「いやいや、いい教育をするためにも、もう少し現場の先生を休ませてあげてほしいなあ…」と、私は心の中で小さくつぶやきます。
8月27日には、教員になって1、2年目の新任教職員の研修会が開かれました。数ヵ月前まで大学生だった若者たちもいて、正直「かわいいなあ」と思いました。まだまだ粗削りで、社会人として何にどう対処していいのかもわからず、自信も持てなかった、でも毎日ひたむきだった若い日の自分を思い出しました。
研修の第一部は「夢の実現研修~教育長と語ろう~」。冷や汗ものの企画ですが、「いいよ」と言ってしまったので、やるしかありません(笑)企画担当者は、私を「世界を股にかけて活躍してきた、異色の経歴を持つ教育長」と紹介。そんな教育長と語り合うことによって、自分を揺さぶり、新しい自分と出会ってほしい。自分のあり方を問い直して2学期を迎えてください、と趣旨を語っていました。
私って「異色」なんや。。。(笑)
私は彼らに、ちょっと過激な挨拶をしました。
いわゆる「いい先生」にはなるな。「いい人」は、「どうでもいい人」につながる。そうではなくて、卒業してからも記憶に残る先生になって欲しい。先輩後輩の序列がきつい職員室でも、唯唯諾諾と先輩教師の言いなりになるな。自分が大切にしたいものは何なのかを見つめ、堂々と前向きに発言してほしい。ただし、知らないことには謙虚に素直に、そして貪欲に――。
車座になって、20人の若い先生がたと、私の生い立ちから海外体験、人間観、仕事観などを語り合いながら、祈るような気持ちになりました。
「何とかこのまま、みずみずしい夢や希望、現実に対する素朴な疑問を持ち続け、挑戦し続けながら、成熟していってほしい」
年配の先生方に「夢や希望」がないとは言いませんが、いつの世も、若者はあちこちで頭をたたかれ、壁にぶつかり、傷ついて、「何も言わないいい人」にされてしまうことが多いように思います。それを繰り返しながら、私たちが住んでいる社会は安全に維持されているのだとは思います。けれど、21世紀は変革の時代です。変革せざるを得ない時代です。今や、「イノベーション」などと言い続けていることのほうがむしろ古臭いほど、社会は激変しているのです。
インドの教育科学者として超有名なスガタ・ミトラさんは、貧困層や学校もない遠隔地の子どもたちに、自由にパソコンを使える場を用意して、世界中でさまざまな教育実験をしていることで知られています。詳細は陳べませんが、スラム街で育ち、教育の機会もなく、文字も読めない子どもたちは、ネット接続できるコンピュータを前に、たちまちデバイスの使い方を学習し、ウェブサーフィンをして、基本的な読み書きを身につけたそうです(ピーター・ディアマンデス&スティーブン・コトラー『2030年 すべてが加速する世界に備えよ』)
子どものみずみずしい好奇心は、未知のものに出会うと「もっと知りたい」と思う。「もっと」「もっと」「もっと」。「子どもたちが興味を抱いたとき、そこに教育が生まれる」と、『2001年宇宙の旅』の作者アーサー.C.クラークさんはミトラさんに言ったそうです。
若い先生がたが、無意識に身につけている「時代の風」。我々古い世代が頭で理解しようとする「未来のきざし」を、彼らは身体で感じています。若者に媚びる必要もないし、イエスはイエス、ノーはノーです。しかし、「若いエネルギーには、希望がある」と私は思います。まずはその「未来のきざし」を感じ、従来の価値観で教え諭す前に、愛情をもってそれを理解し応援しようと努力する。できればそういう「おばあさん」になりたいなあ、と思います。