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教育長雑感 「日々是好日」〈11〉

記事ID:0020409 更新日:2021年9月9日更新 印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示 <外部リンク>

とにかく、目立ったらあかんよ

ユリの花とつぼみの写真

令和3年9月9日

7月も終盤に入ったある日、「女性団体連絡会議」という集まりがありました。コロナ禍で多くの会議が紙面決議やリモートになっていたので、就任して1年を超えたのに、この連絡会議に出席させていただくのは初めてでした。この日は、午後から加古川で播磨東地区の教育長会議があるので、出席してもご挨拶だけで切り上げてください、と言われていました。

私はこの「会議に出てもご挨拶だけ」というスタイルには、どうも馴染めません。時間がある限り、そこで何が話し合われているのかを理解したい。たとえ黙って聞いているだけでも、現状に対してさまざまな気づきがあるからです。
それでこの日も、ご挨拶の後、各代表の自己紹介後の討議の時間になっても、出発時間ギリギリまで意見交換をさせていただきました。じつは、「女性団体」と聞いて、社会教育、生涯学習という観点からも、これは是非とも出席しなくては、と思う反面、1年の間に加西市の状況がなんとなくわかってくるにつれ、もしかしたら女性代表の皆さんはそれぞれの立場をおもんばかって、核心をつく本音の議論にならないのではないか、と心配していました。

しかし、その心配は、嬉しく裏切られました。老人会、婦人会、商工会議所、食生活改善推進会などなどの代表の女性たちは、自分自身の視点と、語るべき中身をしっかりお持ちで、現実への矛盾や疑問を実感しつつ、それを率直にぶつけることのできないストレスを抱えながらも、なんとか自分たちの街、加西市を、もっともっと女性の住みやすい街にしたいという誠意とエネルギーを秘めていらっしゃいました。

他市町から嫁いできて35年以上になるというある団体の代表は、結婚してまずお姑さんにアドバイスされたのは、「とにかく、目立ったらあかんよ」だったと苦笑されました。男女平等の教育を当然として受けてきた現在の20代、30代は、もう少し自由に自己表現をしていると思いますし、私たちの子ども時代のように「級長」は男の子、女の子は「副級長」などという学校の「きまり」も、すでに遠い過去のものになりました。それでも、東京から帰ってみると、地方都市はやはりまだまだ強烈な男性社会だと思います。公の意思決定の場に女性の姿がほとんど見られない。女性の眼差しが活かされにくい。

女性の眼差しを取り入れるということは、女性の権利の主張というよりも、男性が疑問にも思わないで踏襲しているシステムや思考方法に、異なる感性、新たな問題意識を混入させて、より豊かで幅のある方向性と方策を見出すために不可欠なことだと思います。日本の「家制度」は、120年以上前の明治31年に制定された明治憲法下の民法で規定され、「戸主」に家の統率権限を与えていた制度ですが、戦後、日本国憲法が施行されることによって廃止されました。

74年も前に廃止された民法を今さら持ち出すまでもありませんが、それでも、東京五輪・パラリンピック大会組織委員会会長だった森喜朗氏の失言は、男性の中にいまだに根強く残っている、女性に対するアンコンシャス・バイアス(無自覚の偏見)を浮き彫りにしました。

女性にマネジメント能力がないのではない。もしそう見えるとすれば、それは社会的にそれを発揮する場が少なく、慣れていないからです。東京の出版界という、少なくとも女性が自由にモノの言える世界で生きてきた私などと違って、加西市という農業地帯の、強烈なアンコンシャス・バイアスの中で生きてきた女性たちの発言には、論理を超えた重みがありました。消そうとして消せない沸々としたマグマ。矛盾を矛盾のままにしたくないという誠実なそのマグマに、私の方が勇気をもらい、そのエネルギーを形にして行かなければいけないと感じた、ある日の会議でした。

加西市教育長 民輪 めぐみ

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