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令和3年8月26日
「それがしは、怪しい者ではござらぬ。志染(しじみ 現・三木市)の里の、火焚きでござる」
「志染の里よりはるばると?」
「豊かな賀茂(かも 現・加西市)を、ひと目見んとて、参りたる」
こども狂言『根日女(ねひめ)』は、加西市が8年前、『播磨国風土記1300年祭』を記念して、狂言師の野村萬斎さんにお願いして創っていただいたオリジナルの新作狂言です。市内の玉丘古墳に眠る美しい女性「根日女」と、二人の皇子「オケ」と「ヲケ」が出会い、恋が始まるという1500年前の物語を、8月13日の「加西能」の舞台で、「加西市こども狂言塾」の塾生たちは朗々と声を出しながら、みごとに演じていきます。
コロナ禍でこの一年、満足にお稽古ができていないはずなので、演技について少し心配しましたが、終わってみると拍手喝さい。「今年が一番良かった」とおっしゃる観客もいました。その演技の質を支えているのは、もちろん塾生たちの努力と情熱ですが、3年生から6年生までの塾生を、毎年途切れることなく世話をし指導してくださっている応援隊の皆さんの、使命感と愛情に負うところが大きいと思っています。もちろん、毎月、東京から出稽古をしてくださっている万作の会の若手狂言師の方々の、本格的な演技指導のおかげでもあります。
今では例年5月4日と決まっている「加西能」(今年はコロナ禍で8月13日に延期されました)は、加西市民会館大ホールに、大阪の人間国宝・大槻文蔵師をはじめ、能楽協会理事長の観世銕之丞師、狂言方和泉流の野村萬斎師など、能楽界のそうそうたる演者をお迎えして開催されます。今年で実質7回目になる「加西能」が始まったのは、平成28年5月4日でした。その前年に開催された「加西市播磨国風土記1300年祭」を契機に、古代の加西・賀茂の国に生まれ、玉丘古墳に眠るとされる『根日女』の物語を未来に引継ごうと、プロジェクトが始動しました。そのプロジェクトを始める際に、まず野村萬斎さんに協力を頼みに行くと、萬斎さんは「どこかの地方都市の、町おこしのための学芸会の指導なら、僕はしたくない」と、はっきりおっしゃいました。その言葉の裏には、「胆を据えて、本物を目指すんでしょうね」という真剣な問いかけが潜んでいました。
「良くお稽古したね、とてもいいよ」
「でも、覚えたセリフを早く言っちゃおうと思って、『次はこれ』『次はこれ』と急ぐのはよくない。もっとはっきりと、ゆっくりと」
「舞台の上で、自分たち仲間うちで会話しているんじゃないんだよ。舞台から見所(観客席)に、こちらの思いを伝えようとすることが大事なんだ」
「君たちの段取りを見せられても、お客さんは面白くもなんともないよ」
本番前夜、萬斎さん直々のお稽古が、何時間も続き、子どもたちの発声も、演技も見違えるようによくなっていきます。
「何が大事かというと、技術と集中力だね。真剣にお稽古をして技術を身につけたら、あとは集中力だ」
「はい、かみなりさん、そこ、もっとゆっくり大きな声で」
「許麻さん(コマ・根日女の父)、その場面は急いで言っちゃだめだよ。『何を慌ててんの、慌てることなんかないじゃないか』と平気の平左で言って」
「はい、真似してごらん。『学ぶ』は『真似ぶ』からきているんだ。さあ、僕の真似をしてみて」
「子どもなんだから、ほどほどに」などという妥協はみじんもありません。子どもであろうと、自分と同じ舞台に上がる自分と同じ演者なのだ、舞台に上がるということは、そういうことなのだ。「世界の萬斎」でありながら、いえ、「世界の萬斎」だからこそ、惜しみなく真摯な熱情と、真剣な指導をぶつけなければならない。そのカリスマが、子どもたちの魂をゆすぶらないわけがないでしょう。
真剣で勝負する舞台上の光景は、私には、萬斎さんが子どもたちに魔法をかけているように見えました。自分がどんどん上手になっていく。それを実感して、子どもたちは、それを楽しんでいるのです。
本物に触れる、ということはそういうことなのだと思います。