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教育長雑感 「日々是好日」〈7〉

記事ID:0019587 更新日:2021年8月10日更新 印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示 <外部リンク>

龍宮城と播磨国風土記

教育長室から見える夕日の写真

令和3年8月10日

40年以上も東京に暮らしたので、生まれ故郷で暮らし始めたとき、自分は「今浦島」のようだと思いました。東京が私にとっての「龍宮城」だとは言いませんが、しばらくは、長年のホームグランドだった東京を恋しく思いました。

浦島太郎の原型と言われる「浦嶋子(うらのしまこ)」は、雄略天皇の御代(5世紀)の人で、『丹後国風土記』(逸文)や『日本書紀』に登場します。「嶋子」と言っても男性です。嶋子は常世(とこよ)の国に住む「亀姫(かめひめ)」と楽しく暮らし、3年後に生まれ故郷の浦(海辺)に戻ってきました。この浦は、「伊根の舟屋」で知られる京都府与謝郡伊根町あたりだとされます。しかし、地上ではすでに300年が過ぎており、戻ってきた嶋子を知る人は誰ひとりいません。途方に暮れて、嶋子は亀姫が「もう一度私に会いたいのなら決してふたを開けないで」と言って持たせてくれた玉手箱(玉くしげ)のふたを、開けてしまいます。

この風土記に記載されたお話が、千年を経た室町時代の『御伽草子(おとぎぞうし)』に収録され、これが明治時代に日本昔話として国定教科書に登場。日本人なら誰でも知っている「浦島太郎」のお話になりました。日本人は、なぜ、こんなにも長くこのお話を大切にしてきたのでしょうか。

嶋子が行った常世の国には、玉の石を散りばめた地面に宮殿が建ち、亀姫の両親は「神の世と人の世が別々になって久しいが、こうしてまた会うことができてうれしい」と嶋子を歓迎した、と『丹後国風土記』(逸文)には書かれています。
それでお気づきと思いますが、『播磨国風土記』に登場する「根日女(ねひめ)」が眠る古墳も、玉の石で飾られた「玉丘」です。根日女を愛したオケ、ヲケの皇子の父を殺したのは雄略天皇でした。「根日女」の「根」は黄泉(よみ)の国の意味を持つので、「根日女」は常世の国のお姫さまと言うこともできます。
「龍(亀や蛇も)や玉への信仰は、日本の古代を築いた海人(あま)族に伝わったものです」と、加西市で「播磨国風土記講座」を続けてくださっている、元国際日本文化研究センターの国文学者・光田和伸さんはおっしゃっています。光田さんは、加西市に無数にある地元の神社「大歳(おおとし)さん」の不思議を読み解いて、ここ加西市の古代史に新たな光を当ててくださっている学者です。

光田和伸さんは、9年前、加西市制45周年記念事業の一つとして、『播磨国風土記はなぜ“残された”のか?』というセンセーショナルなタイトルで、市民講座を始められました。1300年前に国の命令で、全国各地で編纂されたはずの風土記が、なぜ今、5つしか残っていないのか?『出雲国風土記』『常陸国風土記』などの五大風土記のなかに、なぜ『播磨国風土記』が含まれているのか?

それはじつは偶然ではない。播磨国は、縄文から弥生に移行していく古代日本における最重要地域であり、先進文化の地だった。『播磨国風土記』は、その消すに消せない歴史を行間に潜ませている。『古事記』『日本書紀』と『播磨国風土記』を、従来からすり込まれた日本人の歴史観を排除して、論理的にきちんと読み込めばそれは明らかである。アジアの海を自由に航海して、日本に稲作を広め、ヤマト王権を成立させた陰の実力者である海人族(猿田彦族と久米族)が、王族を立てて、最初に都を置こうとした地こそ、ここ鴨の国(加西市周辺)だった。その王族というのが、のちにヤマトの三輪山にまつられたオオモノヌシ、若き日の大歳神であり、鴨族の王の祖である、と、文献を鮮やかに読み解きながら、光田さんは講義していらっしゃいます。光田さんの講座は、9年目にもかかわらず、100人以上の受講者が毎月待ち望む人気講座なのです。

長い間、加西を離れていたからこそ気づく、加西の良さ、深さというものがあります。毎日少しづつ西に移動しながら、教育長室の窓の向こうに消えていく真っ赤な冬の落日。緑の水田でのんびりとエサを探しているしらさぎの美しさ。誰にも捥がれずに熟れきった黄色い枇杷の実。
自分という人間を形作っていくのは、そうした何気ない日常の記憶であり、幼いころに吸った空気なのだということを、子どもたちに伝えたいと願う毎日です。

加西市教育長 民輪 めぐみ

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