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国宝 一乗寺三重塔

記事ID:0001685 更新日:2024年12月16日更新 印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示 <外部リンク>

国宝一乗寺三重塔が紅葉の奥に覗いている

 
名称 いちじょうじさんじゅうとう
一乗寺三重塔
種別 建造物
指定年月日 明治34年3月27日
昭和27年3月29日
員数 1基
時代 承安元年(1171)
所在地 坂本町
特徴

 一乗寺は山号を法華山といい、天台宗叡山派に属している。寺記によると、孝徳天皇の白雉元年(650)、法道仙人が金銅の聖観音を携えて渡来し、堂宇を建てたのにはじまると伝えているが、明証はない。
 三重塔は、兵庫県下に現存する最古の塔婆である。建立年代は、相輪伏鉢に承安元年(1171)の刻銘があって、平安時代に遡ることが知られ、年次ともに勧進隆西の名と、時の住持であろうか仁西の名をも録している。
 各重とも方三間で、各重の落ちは上重ほど大に、軒高の差と軒出は上重ほど小で、古塔の姿をよくとどめている。相輪の意匠もこれに応じて上代の伝統を濃厚に示し、高さは塔全体の三分の一、見幅も広く、荘重な気格に満ちている。しかも、蟇股や組物、天井、仏壇、九輪など細部の形式に時代の特徴がよくあらわされており、垂木が六支掛となっていること、縁を構えていること、心柱が初重の天井裏から立てられていることなど中世の塔の先駆をなす新しい手法も多く認められる。ことに珍しいのは、三重の屋根にむくりを作っていること、各層の屋根に稚児棟がないことであろう。
 現状は、丹塗りが剥落し、また一部に後補の跡もみられるが、平安時代末期における建立年次の明らかな唯一の塔として、また、当時の技法研究に役立てるところが多い点において、きわめて貴重な遺構であるといえる。

出典 加西市文化財資料第3号「加西の文化財」(改訂版)


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