TOP観光文化財発掘情報>野条廃寺跡

野条廃寺跡

はじめに

野条廃寺跡は、加西市野条町に所在し、昭和14年ころには、付近の田畑に瓦が散布し、東西約70m、南北約80mの方形の土塁が巡り、その区画内に堂塔跡の土壇が残っていたことから古代寺院があったと推定されていました。
昭和31年度には甲陽史学会によって基壇跡等の発掘調査が実施されました。調査の結果、基壇跡は一辺長9.7m、礎石の抜き取り痕から建物平面は方三間で一辺長5.4mの奈良時代の塔基壇であることがわかりました。
そして、昭和43年3月31日に、野条廃寺跡は播磨地方の代表的な古代寺院と考えられるので市指定文化財に指定されました。

野条廃寺跡位置図

調査の目的

昭和31年度の調査以降は遺跡の保存措置等が講じられることなく自然崩壊が進んでいました。特に塔基壇跡は最近の豪雨等による自然崩壊が著しく、その復旧と保存措置資料収集のため、平成20年12月2日〜成21年3月19日に緊急に確認調査を実施しました。

調査の成果

今回の調査では、昭和32年度の調査で明らかにできなかった塔基壇跡の創建時期や基礎工事について新たな発見がありました。
塔周辺部について、昭和32年度調査の掘削面よりさらに掘り下げた結果、平安時代初期の播磨国府系瓦が出土しました。しかし、白鳳時代や奈良時代の瓦等は全く出土しませんでした。このことから、塔の創建時期は、平安時代初期の創建と推定されます。
また基壇は、地山を平坦に削りだしその上に土や粘土を互層に突き固め、硬く建物の基礎を築く工法で造られていた事がわかりました。基壇南辺を断ち割り、土層を観察した結果、黄色や灰色の粘土や土を薄く積み上げた様子がわかります。

塔基壇全景(空中写真) 塔基壇全景(西から)

基壇化粧の根石は凝灰岩の小型板石状の割石をたて、その上に川原石を乱石積みする構造であることがわかりました。
これらの化粧石の多くは火をうけた痕跡が認められます。
この基壇の上に礎石をおいて塔の柱を建てるのですが、心礎及び周囲の礎石はすべて抜き取られて持ち去られています。しかし、心礎や礎石を抜き取った跡は根石だけが残っており、今回の調査ではそれらの全てを検出できました。

基壇化粧の石積(西側) 基壇化粧の石積(東側)

まとめ

今回の調査によって塔基壇の再発掘を実施し、礎石を持ち瓦葺きの塔が平安時代初めに建立されていることが確実となりました。一般に、奈良時代末からは地方寺院の建立が抑制されており、国分寺以外で新たに立派な塔を構えることが珍しくなっています。野条廃寺跡の場合も再建の可能性が疑われていましたが、今回の調査からは平安時代初めにはじめて塔が建てられたことが確かめられ、この時期に創建された寺院である可能性が高くなりました。

瓦の出土状況 瓦の出土状況

出土瓦からは、平安京や播磨国分寺との関係がうかがえ、加西市のほぼ中央部を占める鶉野台地の西南端の交通の要衝に位置することから、当時において重要な位置を占めていたと言えます。 瓦以外には平安時代中頃の土師器や須恵器が少量出土しており、このころまでは寺院として利用されていたことがわかりました。しかし、塔の倒壊時期を明らかにできる資料は今のところ見つかっていません。  また、塔基壇周囲にはどのような施設あり、それらがいつ建てられていたかもわかっていません。今後の調査の進展によって解明されることでしょう。 前回の調査では、保存措置が講じられておらず基壇土及び基壇化粧の流出が続 いていましたので、今回の調査後、遺跡を保護するために保存土を置きました。

問合先 教育委員会 生涯学習課 市史文化財係
TEL:0790-42-8775 FAX:0790-43-1803 mail:shogai@city.kasai.lg.jp

Page Top