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糠塚古墳群

平成17年3月20日

はじめに

 調査は平成17年2月〜3月末にかけて、開発事業に先立って、周知の埋蔵文化財である糠塚古墳群の範囲確認調査を実施しています。
調査は、市教育委員会と市史編纂委員の京都府立大学文学部菱田哲郎助教授との合同調査です。
調査の途中ですが、糠塚古墳群の規模および形態が把握でき、また、新たに15号墳が所在することも明らかになりましたので、ここにその成果をお知らせします。
現地説明会風景  調査地遠景

2.遺跡の立地

糠塚古墳群は、加西市網引町糠塚・脇田にあり、『播磨国風土記』に登場する糠塚山西麓を中心に分布しています。糠塚山は万願寺川と下里川が合流する交通の要衝の地にあり、政治的・経済的に重要視されていたことは考えられます。
古墳群は15基で構成されています。2〜15号墳は糠塚山に築かれており、墳形のわからない4号墳、13号墳以外は全て円墳であると思われます。しかし、1号墳のみ糠塚山とは谷を挟んだ向かい側の尾根上に築かれ、ここも同じく円墳であると考えられていますが、前方後円墳である可能性も残っています。

3.周辺の遺跡

糠塚古墳群の周辺には、弥生時代中期の集落である針田遺跡があります。さらに、弥生時代末期の周遍寺山墳墓群も確認されています。周遍寺山1号墳は、山陰・中国地方で特徴的にみられる四隅突出型墳丘墓に酷似しており、山陰・中国地方との関連性を考える上で重要だという説もあります。
この地域から古墳時代前期・中期の古墳がみつかっていませんが、古墳時代後期になると、糠塚古墳群と同様に、横穴式石室を備えた新池古墳群、新村古墳群、状覚山古墳群が築かれるようになります。付近一帯は、加西市内でも後期の古墳が密集する地域であると言えます。また、ハメ塚石棺仏を始め、数多くの石棺仏も確認されています。しかし、古墳時代後期の集落遺跡は未だ発見されていません。

4.調査の成果

 

調査の対象となったのは、8基の古墳(2・3・5・6・7・8・9・16号墳)と1基の中世墓(石蓋土坑墓)です。
当古墳群は7世紀の円墳で、大半のものが横穴式石室石室を備えていましたが、一部木棺墓を備えていた古墳も存在することが調査でわかりました。
2・3号墳は、墳丘径約17m、墳丘高約2m、周溝幅1〜2mと、今回の調査古墳中最大で、有力者の墳墓であると考えられます。
特に2号墳は比較的保存状態がよく、横穴式石室の規模は幅1.5m×長さ8.8mが、ほぼ当時の姿のままで残っており、石室から出土した須恵器などから7世紀前葉に築造され、8世紀まで繰り返し埋葬に使われたことが確認されました。
3号墳は墳丘の南側が土取りのため大きく削平されており、横穴式石室も羨道と玄室の一部が削り取られていますが、石室断面から出土した須恵器などから7世紀中葉に築造されたことが確認されました。
5・7・8・9・15号墳は、墳丘径約10m、墳丘高約1m、周溝幅約1m、横穴式石室の規模は約1m×長さ約5m)と小型で、大型の2・3号墳の背後に築造されており、有力者一族の墳墓であると考えられます。
糠塚2号墳 糠塚3号墳


糠塚古墳群調査結果一覧表

名称 墳丘径 墳丘高 埋葬主体 開口方向 石室等規模 周溝幅 深さ 出土遺物 古墳築造時期 備考
残存高
2号墳 約17m 約2.2m 横穴式石室 Nー80°ーE 幅1.5m×全長8.8m 約2m 約30p 須恵器・土師器 7世紀前葉 本調査
3号墳 約17m 約2.4.m 横穴式石室 Nー30°ーE 幅1.5m×残存長4.2m 約2m 約20p 無 し 7世紀? 本調査
5号墳 約10m 約1m 横穴式石室 Nー80°ーE 幅1.2m×全長4m 約1m 約20p 須恵器・土師器 7世紀? 本調査
6号墳 約12m 約1.2m 横穴式石室 不 明 不 明 約1m 約20p 無 し 不 明 調査対象外
7号墳 約10m 約1m 横穴式石室 Nー45°ーE 幅1.5m×全長5,6m 約1m 約20p 無 し 7世紀? 本調査
8号墳 約9m 約0.2m 横穴式石室 Nー20°ーE 幅1m×全長3m以上 約1m 約20p 須恵器 7世紀? 本調査
土坑墓 幅0.8m×全長3m以上
9号墳 約10m 約0.8m 木棺墓 Nー20°ーE 幅2m×全長4,7m 約1m 約20p 無 し 7世紀? 本調査
10号墳 約10m 約1.2m 横穴式石室 不 明 不 明 不 明 不 明 無 し 不 明 調査対象外
15号墳 約10m 約0.8m 横穴式石室 不 明 不 明 約1m 約30p 無 し 7世紀? 新発見

5.まとめ

糠塚山は『播磨国風土記』に登場する糠岡に比定されていますが、その麓に数多くの後期古墳が築造されています。今回調査された糠塚2号墳や3号墳をはじめとする古墳群は、風土記から100年ほど前に造られた群集墳で、石室の規模から2号墳や3号墳は有力者の墓であると推測できます。その石室の配置をみると、糠岡を背負うような方向に開口しており、糠岡を意識して古墳を築いたことがうかがえます。風土記の時代の人々が山に対してどのような意識を持っていたかを知ることができる貴重な資料といえます。
 最後になりましたが、地権者・南網引町区長ならびに地元住民の方々には、大変ご協力を賜りました。当町での発掘調査は、尚しばらく継続しますが、引き続きご協力・ご理解いただくこと、重ねてお願い申しあげます。

問合先 教育委員会 生涯学習課 市史文化財係
TEL:0790-42-8775 FAX:0790-43-1803 mail:shogai@city.kasai.lg.jp

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