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亀山古墳

平成16年3月14日・4月29日

亀山古墳 現地説明会風景  亀山古墳 現地説明会風景

はじめに

亀山古墳は加西市の指定文化財です。現在、亀山古墳周辺で兵庫県による遊歩道整備等が計画されていることから、加西市教育委員会は亀山古墳の全容を明らかにするために発掘調査を行いました。 昨年度は墳丘の大きさ、埴輪の様相、埋葬施設の詳細を明らかにするための調査を実施しました。今年度は昨年度に引き続いて埋葬施設の調査を進めています。調査も終わりに近づきましたので、ここにその成果の一部を御紹介いたします。

亀山古墳の概要

加西市中心部に広がる玉丘古墳群には、全長109mの前方後円墳である玉丘古墳を筆頭に、古墳時代中期(5世紀)の古墳が数多く築かれています。今回発掘調査を行った亀山古墳は、玉丘古墳の北東に位置する小山の山頂(標高約161.5m)にあります。
亀山古墳は、1937(昭和12)年に墳頂部の調査が行われ、その際に岩盤を掘り込んで造られた2つの埋葬施設が確認されました。それによると、第1埋葬施設は岩盤を掘り込んだ穴に石で蓋をしたもので、熟年男性の上あごの骨・鏡・甲冑(短甲・眉庇付冑)・刀剣などが見つかりました。また、第2埋葬施設は蓋石を持たない埋葬施設で、こちらからも鏡・甲・刀剣などが発見されています。また、このときの発掘で墳丘東側に円筒埴輪列が存在することが確認されました。当時の出土品は、現在、東京国立博物館・京都大学で保管されています。
この調査は応急的なものであったため、古墳の大きさ、円筒埴輪の立っていた状況、埋葬施設の詳しい情報などを明らかにすることが課題として残されました。

1937年調査時に報告された埋葬施設の大きさ
〔第1埋葬施設〕全長4.5m、幅約0.8m、深さ約0.7m
〔第2埋葬施設〕全長3.5m、幅約仇8m、深さ約0.45m

1937年調査時の出土品一覧
〔第1埋葬施設〕鏡1・短甲1・草摺一括・眉庇付冑1・籠手残欠
鉄刀1・鉄剣6・鉄槍1・鉄鏃1束・鉄製金具片2
〔第2埋葬施設〕短甲1・鉄刀1・鉄剣3・鉄鏃1束・鏡1
(『兵庫県史』をもとに作成)

調査の成果

第一次発掘調査(平成16年2月〜3月)

一次調査は古墳の大きさや形状、埴輪の様相、埋葬施設の正確な情報を明らかにするために行いました。一次調査で判明したことは以下のような点です。 まず、亀山古墳が南北約50m、東西約45mの大きさの円墳であることがわかりました。墳丘の裾にはほぼ全面にぐるりと円筒形の埴輪を立て並べていました。これらの埴輪は墳丘に溝を掘ってその中に立てられており、その本数は発掘した範囲内だけでも40本にのぼっています。また、埴輪列のところどころには直径30cm程度の大きさの穴が掘られていました。これらの穴は古墳を築造するときの目印であった可能性があります。 填頂部では1937年に調査された2基の埋葬施設の再調査を行いました。その結果、第1埋葬施設は戦前の調査で報告されていたよりもずっと大きく、南北6m・東西2.2mであることがわかりました。また、古墳築造時に埋葬施設をどうやって埋めていったのかもわかりました。
第2埋葬施設も戦前に報告されている大きさと異なり、南北4m、幅1.5m、深さ0.8mであることがわかりました。また、第1・第2埋葬施設ともに、戦前の調査終了後に埋め戻した土には小さな鉄片が大量にまじっていました。この鉄片は甲冑や鏃の破片で、以前の調査で副葬品を取り上げた時にこぼれ落ちたものだと考えられます。

亀山古墳全景  埋葬主体部全景  埴輪列

第二次発掘調査 (平成16年4月〜6月)

一次調査も終わりにさしかかった頃、第一埋葬施設の石蓋西側で鉄製品が出土しました。調べてみると、そこには戦前の調査では見逃されていた、箱のようなものがあることがわかり、さらに詳しく調査を行うことになりました。
調査の結果、埋葬施設の西側に木の箱があり、その中には鉄製品が大量に入っていることがわかりました。箱自体はすでに腐朽してなくなっていますが、箱に塗られていたと考えられる赤色の顔料は残っており、箱の輪郭が明確に見えています。このようにはっきりと箱の痕跡が見えるのは全国的にみても大変珍しく、貴重な例です。この痕跡から箱の大きさが南北3.5m、東西0.4mと、非常に長大なものであることが判明しました。
この箱は石蓋西側の平坦な面を少し掘り下げて置かれています。蓋の部分は朽ちて落ちてしまったためか形がわかりませんでしたが、底の断面はゆるいカーブを描いて曲がっており、いわゆる割竹形の箱であったと考えられます。
箱の内側には全面に赤い土がみられ、これは箱の中に塗られていた顔料が残つたものと思われます。箱の中を仕切る板の痕跡はみられなかったことから、内部の区画分けはされていなかったようです。南半分には農工具、北半分には鉄鏃が納められており、現在では何もないように見える部分には木や布のような有機質のものが入れられていたと考えられます。鉄製品は品目ごとにまとめて入れられていますが、用途不明のものもいくつかみられます。さらに、北側の鉄鏃の近くからは胡禄という矢を入れる筒に取り付けられていた金具(胡禄金具)も出土しました。
この箱は第1埋葬施設を埋めるときに一緒に埋められたもので、その性格をはっきりさせるためにはさらに調査を進める必要がありますが、現状では第1埋葬施設の被葬者のための副葬品埋納箱であると考えています。石蓋の下に副葬されていたものは甲冑、刀剣、鏃、鏡など、武器・武具類が中心であるのに対し、今回出土した箱の中には農工具が多くみられることが特徴です。

第1埋葬主体部  鉄鏃の束  鉄製農工具

まとめ

亀山古墳では、本年2・3月の第一次調査において、円筒埴輪列の追跡や墳丘斜面の調査により、古墳の範囲や形状に関する基礎的な資料を得ることができました。その結果として、本古墳が直径が50mに達する大型円墳になることが確定しました。古墳の年代についても、1937年の出土品に加えて今回得られた埴輪の様相から、5世紀中葉から後半に位置づけることができます。その成果は3月14日におこなった現地説明会で発表させていただきました。その後の成果について最後にまとめておきたいと思います。
円筒埴輪列については、埴輪が立てられていない空隙が一定の間隔で存在していることが判明し、そこには木柱が立てられていたと推測できました。その部分では埴輪を据えるための溝もとぎれており、埴輪を巡らせる前に、位置の目安として柱が立てられていたことがわかります。このような施設は京都府加悦町の鴫谷東1号墳においても確認されており、そこでは4mほどの間隔で木柱が立てられていたと推測されています。埴輪列の巡らせ方に一定の手順があったことがうかがえ、古墳時代の技術を知るための重要な成果といえます。
また、墳頂部の第1埋葬施設において、副葬品箱の存在が判明したことは、今回の最大の成果です。中に納められていた矢の束、胡禄、農工具などは、当時の副葬品としては一般的なものですが、それを入れておく施設がほぼ完全な形で発見されたことに重要な意義があります。埋葬施設内に置かれた副葬品箱は加古川市行者塚古墳、大阪府高槻市土保山古墳、岐阜県大垣市昼飯大塚古墳など、いくつかの古墳で確認されていますが、まだまだ発見が少なく貴重な例になると評価できます。いずれも各地の最有力者の墓であることからも、この亀山古墳がこの地域の首長の墓であることがいよいよ確実視できます。今後は発見された遺物の整理を通して、この古墳の特質について解明を急ぎたいと考えています。

問合先 教育委員会 生涯学習課 市史文化財係
TEL:0790-42-8775 FAX:0790-43-1803 mail:shogai@city.kasai.lg.jp

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