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長塚遺跡(第11次)現地説明会資料

平成15年8月30日調査

1. 長塚遺跡について

長塚遺跡は、平成3年度から5年度の県営ほ場整備事業実施に先立って分布調査を実施した結果、広範囲に須恵器・土師器等の土器が散布していたので、緊急に埋蔵文化財確認調査を実施しました。確認調査によって加西市上宮木町・豊倉町にまたがる万願寺川西岸の河岸段丘に立地する約40,000uの広大な弥生時代中期(約2,000年前)から安土・桃山時代(約400年)にかけての集落跡が地下に眠っていることがわかりました。

加西市教育委員会は、排水路等どうしても地下深く掘削して遺跡を破壊してしまうような箇所は全面調査を実施しています。
今までの発掘調査によって、長塚遺跡は弥生時代から古墳時代の人々が生活していた円形及び方形竪穴住居跡や方形周溝墓が多く見つかり、北播磨地方では最大級の集落跡であることがわかりました。また、奈良時代(約1,300年前)や平安時代(約1,200年前)・鎌倉時代(約700年前)には掘立柱建物跡や溝跡等が発見され古墳時代以降引き続き人々が生活していたことがわかります。

奈良時代では繁昌廃寺と同文の軒丸瓦が出土したことは注目に値します。特に室町時代から安土桃山時代の五輪塔や石臼を製作していた作業場跡が発見されたのは全国ではじめてです。 また、周辺では弥生時代から中世の集落跡の土井ノ内遺跡(上宮木町)や鎌倉時代の大きな溝で屋敷を囲った館跡が発見され溝の底から青磁腕がほぼ完形で出土した殿垣内遺跡があり、長塚遺跡と密接な関係があったと思われます。

2.調査の経緯

平成14・15年度播磨中央自転車道建設事業地内には、周知の埋蔵文化財(長塚遺跡)が所在することから、工事実施に先立って、第10次調査を平成15年1月7日〜2月10日に実施し、第11次調査を平成15年6月20日〜10月中旬(予定)で実施しています。
昨年度の長塚遺跡10次発掘調査では約600uの調査を実施しました。
調査の結果、弥生時代中期の隅丸方形竪穴住居1棟、弥生時代後期の円形竪穴住居跡1棟・隅丸方形竪穴住居跡2棟・多角形竪穴住居跡1棟、弥生時代の溝・土坑及び中世の柱穴・溝です。出土遺物には弥生土器・須恵器・土師器などがあります。
今回の発掘調査は、昨年度に引き続き実施しているところであります。 調査の途中ですが、今回の調査の概要が把握できましたので、その内容を発表します。

3.長塚遺跡11次発掘調査の概要


調査区は東西に長く全長が約400m、幅が約7〜8m、面積3,000uを測ります。 調査区は農道及び排水路等をはさんで大きく4地区に分割されます。北から5区・6区・7区・8区と仮称しました。以下、各地区ごとに調査の成果をまとめます。

5区
発見した遺構は、弥生時代中期の円形竪穴住居跡6・8・9の3棟、弥生時代後期の隅丸方形竪穴住居跡7・10の2棟、弥生時代中期の溝1条、中世の墓2基等です。 出土遺物には弥生土器・石器・須恵器・土師器などがあります。

6区
発見した遺構は、弥生時代後期の方形竪穴住居11の1棟、弥生時代後期の多角形竪穴住居跡12の1棟、奈良時代〜中世の柱穴、平安時代の掘立柱建物等です。 出土遺物には弥生土器・須恵器・土師器などがあります。

7区
発見した遺構は、弥生時代後期の方形竪穴住居跡14の1棟・方形竪穴住居跡13・14の2棟及び中世の掘立柱建物等です。出土遺物には弥生土器・須恵器・土師器などがあります。

8区
発見した遺構は、弥生時代中期〜後期の大溝1条、奈良時代〜中世の柱穴・土坑等です。出土遺物は弥生土器・須恵器・土師器などがあります。
5地区竪穴式住居跡  現地説明会風景

4.まとめ

調査の結果、長塚遺跡は弥生時代〜中期にかけて営まれた集落跡と位置づけられる成果が得られました。今回の調査地は、調査前の段階では、集落跡の縁辺部と考えていました。しかし、調査の結果、弥生時代中期から後期の竪穴住居跡16棟が密集して検出されることから、今回の調査区が集落跡の周辺部とは考えられず、河川よりの東側の区域が河川改修時大きく削平されていたことが判明しました。
特に8区の弥生時代中期〜後期に営まれた幅約8m、深さ約1.2m、検出延長約60mの大溝の性格は不明ですが大量の弥生土器が出土することは注目に値します。 また、多様な形態の竪穴住居や弥生土器などが検出されたことから、他地域との交流があったと想定され、当集落が拠点的集落であったことがわかります。

問合先 教育委員会 生涯学習課 市史文化財係
TEL:0790-42-8775 FAX:0790-43-1803 mail:shogai@city.kasai.lg.jp

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