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日本におけるドイツ年記念展『青野原俘虜収容所の人たち』

■第一次世界大戦ドイツ・オーストリア=ハンガリー兵俘虜の生活

現在、市立図書館にてドイツにおける日本年を記念して、青野原町にあった第一次世界大戦ドイツ・オーストリア兵俘虜収容所の物品で加西に関連するものを展示しています。(終了します:平成17年10〜11月に開催しました)

展示資料は『加西市史』第五巻発刊後に発見された新資料を中心に行っています。日本という全く文化も自然環境も違う異郷の地で、俘虜という不自由な生活の中で、俘虜たちがどのような楽しみを見出し、日々を過ごしていたかに焦点を当ててみました。

注目はドイツ軍砲兵イグナッツ・シェフチェック作製した刺繍と、11月3日にドイツから来日したドイツ兵俘虜研究家のハンス・ヨハイム・シュミット氏から提供された俘虜が持ち帰った写真です。これにあわせて、10月に本庁で公開した俘虜の絵とび看板を図書館で展示しています。
※10月の本庁公開絵画の資料はこちら→加西市報

刺繍貴族出身者で構成される士官の中には、芸術や文化、先端知識に長じる者が多く、徴兵によって集められた兵卒の中には、職人(工業職人だけでなくパン職人などの生活全般も)や技術者などが含まれていました。今回展示した刺繍のように、当時のドイツでも女性の技術とされていたものを習得している人たちもいました。俘虜としての生活の中で彼らの才能や技術が、生活を潤し、心を和ませることに役立ったようです。

俘虜の生活は、『ハーグ陸戦協定』の俘虜の取扱条項で保障されていたたこと、第二次大戦時に比べ日本が裕福であったこと、そして近代日本が手本とした欧州人(中でも立憲君主制、大日本帝国憲法のモデルとなったドイツ人)であるので非常に敬意を払われ、よく思われがちな捕虜虐待や過酷な重労働などはありませんでした。

また、俘虜は、収容期間中も軍役の期間として認められていて、日本が満額ではありませんが給金を立替えで払っていました。そのため俘虜にも収入があり支給されるものと別に、給金で地元住民から必要な物資を買っていたようです。こうやって地元住民と俘虜の間に交流がもたれていました。

監視付だったと思われますが収容所外への遠足などが企画されていたようです。シュミット氏からいただいた写真の中で、収容所の外が写っている場所を調べていくと、見たことがある風景がありました。それが奥山寺(国正町)や一乗寺(坂本町)、普明寺(大工町)でした。

奥山寺クリスマスの飾りパンを焼く



 

俘虜収容所研究家シュミットさん来日

■青野原俘虜収容所跡を見学

来日したシュミット氏第一次世界大戦のドイツ人俘虜の研究家ハンス・ヨハイム・シュミットさんがドイツから来日されました。氏は俘虜が持ち帰った多くの写真を所蔵されており、加西にも青野原関連の写真を多数提供していただきました。

篠田夫妻(夫人の祖父がドイツ人俘虜だった)の招待で来日したシュミット夫妻は、板東・丸亀・姫路と収容所のあった各地を周り、11月3日に好古館(小野市)で俘虜収容所の展示を見学した後、俘虜収容所のあった青野原町を見学されました。日本で現存する唯一の建物を見て非常に感銘を受けておられるようでした。

問合先 教育委員会 生涯学習課 市史文化財係

TEL:0790-42-8775 FAX:0790-43-1803 mail:shogai@city.kasai.lg.jp

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