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第3号 特集「自然編発刊記念号」

加西市史編さん委員会だより

『加西市史』いよいよ発刊

『加西市史』の第一回配本として、第三巻本編3の自然編が、九月中旬にいよいよ発刊となります。  今号は、発刊に先立ち、『加西市史』自然編の特集です。  自然編は、加西の歴史の基礎となる、加西の大地の成り立ちや、加西を取り巻く環境を詳しく説明してあります。また、動植物の項では、水辺の動植物を中心に記述されています。  ここでは、水辺の動植物や加西の大地について、少しだけ紹介したいと思います。

加西のため池と水辺の植物たち

■見直される「人と自然の共存空間」

兵庫県はため池が全国でもっとも多い県で、その数は四万を超えます。加西市にも九〇〇カ所あまりのため池があって、池の維持管理にさまざまな努力がなされてきました。昔は池で泳いだり、洗い物をしたりという話も聞きます。生活にとけ込んだ、身近な存在だったのでしょう。  ため池は、もともと人工的に造られた水域ですから「自然を守ることも大切だ」と言うと、意外な顔をされることがあります。しかし、近年、人によって利用されてきたため池が、実に多くの動物や植物の生活を支えていることが注目されるようになりました。ため池こそ、まさに人と自然の共存する水辺空間と言えるからです。  最近は、埋立てや改修工事、あるいは水質汚濁が各地で進行し、姿を消したり、環境が悪化しているため池が少なくありません。その結果、ため池で暮してきた昆虫や植物の多くが消滅の危機に瀕しています。

■加西は希少種の宝庫

全国有数の規模を誇るミズトラノオの群落

全国有数の規模を誇るミズトラノオの群落

ところが、今回の『加西市史』自然編に向けた調査の中で、加西市のため池には、他の市域では消滅した水草や湿地の植物が各所に残っていることが確認できました。環境省や兵庫県などが絶滅危惧植物としている種が、水草に限っても二六種あります。湿地の植物でも、サギソウ、トキソウ、イシモチソウをはじめ多数の絶滅危惧種が見られます。写真に示したミズトラノオは、他の地域では見ることが少なくなった植物ですが、加西市には全国有数の規模の群落が残っています。  昨年の末、環境省が「日本の重要湿地五〇〇」を発表しました。将来に残したい湿地(水域を含む)を全国から五〇〇カ所選んだものです。その中のひとつに「東播磨北部地域の農業用水系」が選ばれました。選定の理由として、加西市のため池群の、生物の多様性が高く評価されたからです。  私たちは、身近にあるものの価値に気づかないことがあります。加西市のため池は全国に誇れる、すばらしい自然環境であることを知っていただきたいと思います。ため池を利用する立場からは、安全で管理しやすいため池が望ましいことは言うまでもありません。しかし、これからは、自然にも配慮したため池の環境と景観が、守られることを願わずにはいられません。

自然委員 角野康郎

 

加西の石の年齢は? 石材の形成場所と年代を探る

■砂岩は二億歳

加西市は石材の豊富な土地です。福住町や国正町で砕石される砂岩は、道路用・コンクリート用骨材として利用されています。砂岩は陸から運ばれてきた砂粒が堆積してできた岩石ですが、できた時期と場所はさまざまです。  福住町の砂岩は層状の砂岩で、古生代二畳紀(二億八九〇〇万年前〜二億四七〇〇万年前)に、古アジア大陸の前面にあった古太平洋の大陸斜面や、海溝付近で形成された砂岩です。これに対して、国正町の砂岩は、中生代ジュラ紀(二億一二〇〇万年前〜一億四三〇〇万年前)に形成されました。当時の海溝付近で、陸から運ばれてきた砂岩の堆積物に、遥か南方の赤道付近からプレートの移動によって運ばれてきたいろいろな岩石が次々と押し付けられ、混じり合って、複雑な様相を示す地層が形づくられました。この地層がジュラ紀の終わり頃の地殻変動で変形しながら隆起し、陸地になったわけです。  つまり、加西市域には日本列島が海洋底にあった時からの様子を物語る石が多く残っているのです。このあたりの事を解き明かすことが、市史の一つの内容となるでしょう。

■長石・高室石の誕生

市の南部には中生代白亜紀後期(九六〇〇万年前〜六五〇〇万年前)に噴出した火山砕屑岩を利用した砕石場や採石場があります。倉谷町の南西や網引町の南では主に溶結凝灰岩を砕石していたようです。溶結凝灰岩というのは、多量の高温火山灰が火砕流として堆積し、含まれていたガラスが一部融け緻密なガラス質岩石になったものです。堆積物の自重により圧密され、気泡が消失し、軽石はレンズ状となっています。これは陸地となった加西の大地で激しい火山活動が起こった証拠です。  西長町では軽石凝灰岩の「長石」が、採石されています。軽石凝灰岩は岩石としては軟質で加工が容易なうえ、割れ目が少なく、大きなブロックとして取り出せることが、この岩石の利用価値を高めたようです。長石は、カルデラ内の低地に運ばれてきた火山灰や岩片が堆積してできた岩石で、軽石はあまり溶結していません。

(後背の山)高室石の丁場遠景

(後背の山)高室石の丁場遠景

加西ではもう一つ、高室石という石材が採掘されていました。東高室の北に広がる小高い山の南斜面に丁場跡が残っています。東高室にお住まいの山下真一さんの話では、主に細工物に加工され、近隣の地域はもちろん姫路・神戸方面にも出荷されていたとのこと。そう言えば我が家も、昔は餅つきの時に凝灰岩製の臼を使っていました。この高室石は長石と同種の火山活動でできた凝灰岩ですが、成層した部分があり、細粒で粒の揃いがよいのが特徴です。おそらく火山から少し離れた水域で堆積したものだと思われます。

自然委員 井上剛一

幻の湖「古加西湖」を追う

■加西に存在した湖の誕生と消滅

皆さん「古加西湖」という湖をご存知ですか。そうですこれは、今は存在しない幻の湖です。  今回の加西市史の調査で誕生(発見)しました。詳しくは『加西市史』自然編をご覧くださればわかりますが、ここでは古加西湖の誕生と消滅の過程ついて見てみましょう。  加西市域の低地の地形は、平坦な台地地形が続き、メリハリのない、とらえどころのない反面、小さな起伏があちこちにあって、複雑で解明の難しい所と、考えられていました。  しかし、調査を締めくくる段階では、有り難い誤解だったと判りました。  播磨大地の沈降と隆起 加西市域を含む東播磨の大地、とくに台地・段丘の部分の土台(基盤)は大阪層群という、主として砂礫層で構成されています。大阪層群は、第二瀬戸内海という広大な内海の中で、約三〇〇万年間にわたって堆積した地層です。  第二瀬戸内海というのは、現在の瀬戸内海の前身で、九州の西部に外海への出口を持っていた大きな湖です。第二瀬戸内海は、現在とは違って大阪湾とは繋がらず、したがって、太平洋とも直接繋がってはいませんでした。  しかし約八〇万年前頃から第二瀬戸内海も、東播磨の大地が大阪層群を堆積させてきた沈降の過程から、隆起の過程へという大転換期にさしかかり、終末期を迎えます。内海の海域は、東に高く西に低くという東播磨の大地の隆起が続く中で、次第に西方へ押しやられ、現在の加古川河口へ向けて縮小していくことになりました。東の方からかつての湖底が干上がり、大阪層群が地表にさらされることになりました。

■気候の変化と段丘化

また、同じ七〇〜八〇万年前頃から地球上の気候が寒冷な氷期、温暖な間氷期と、顕著な変化を二.一万年周期で繰り返し始めました。気候変化につれて世界の海水面が昇・降します。外海に続いている第二瀬戸内海の湖水面も変化し、東播磨に広がっていた湖水の湖岸にも影響を及ぼしました。  海水面の昇・降は、隆起している大地の沿海部に海成段丘、東播磨の場合は湖岸段丘を形成しました。そして、気候変化の反復は、縮小する湖の岸辺に、その変化の数だけの段丘を、順次、作っていきました。

■古加西湖の誕生

ランドマークから見た古加西湖域

ランドマークから見た古加西湖域

しかし、第二瀬戸内海の縮小につれて、丹波や北播磨から流れてくる古加古川は、寒冷期に干上がっていた湖底の大阪層群を削って流れ、東の小野台地と青野ヶ原台地以西の台地を分離させました。また、青野ヶ原の西側は現加西市域の北から流れてくる万願寺川によって削られます。その結果、青野ヶ原付近は南へ突き出た半島状の高まりとなり、第二瀬戸内海のうち加西市域の部分は、東方の本体部分から孤立させられました。  それ以降、温暖期の水面の上昇期には、現在の加西市域は、東を第二瀬戸内海から青野ヶ原の高まりに限られ、北・西・南を山々や丘陵に囲まれた閉鎖的な水域となりました。ここに新たな湖水域、古加西湖が誕生しました。

■古加西湖と加西の地形

約五〇〜六〇万年前頃からの、古加西湖が成立して後、市域の現在の低地部分は、全面、古加西湖の湖底であり、現在、市域の低地のあちこちで見受けられる山地や丘陵は、古加西湖に浮かぶ、多島海のような景観を作ったことでしょう。古加西湖には流れ込む大きな河川もなく、湖底には粒の細やかな粘土質の堆積物がゆっくりと堆積していきました。市域のこの細粒の堆積物は、青野ヶ原台地以東の台地や段丘堆積物が、粗粒の砂礫層が中心であることと際立った対照性を示しています。これが古加西湖の特徴で、現在この堆積物は市域で作られている瓦の原料となっています。  古加西湖になってからも気候変化が起るたびに、湖水面は二.一万年ごとの上昇・下降を繰り返し、岸辺では湖岸段丘が順次、形成されました。青野ヶ原台地の西側には、西向きの段丘崖をもつ市域最高所の段丘面が形成されました。次の時期には別府・別所以南には南向きの段丘崖をもつ数々の段丘面が、さらに縮小が進行して湖が鶉野上に広がった約四〇万年前以後は、南向きの段丘崖をもつ鶉野の段丘群が作られました。すなわち、段丘崖は古加西湖の湾口、網引町方向に向いた、東西ないし北西〜南東方向に続くようになります。

■まとめ

このようにして、加西市域低地全面に広がる湖岸に形成された段丘群は、最高所九〇メートル付近から五〇メートル前後まで、各段丘面の高度差はほぼ三メートル間隔で、その間、段丘面は高度的には欠けることがなく十四〜十五段も数えられます。他市域では欠けることもある段丘面が、古加西湖ではすべての高さで揃うことになります。このことは、加西市域でようやく探り当てることができた、お宝ともいえる現象で、今後の播磨の大地と特性を考える上では非常に貴重なことになるでしょう。この古加西湖は、約三〇万年前、環境が第三瀬戸内海(現在の瀬戸内海)へ遷移するとともに消滅し、以後は万願寺川や下里川沿いに発達する河岸段丘の時代になります。  加西市域が、播磨の奥深い穏やかな内湾の環境の下でひっそりと息づきつつ、大地の動きと気候の変化を一つ一つ忠実に反映して、入念に作られ、そしてそれを大事に保存してくれた自然を持った地域だったことを、古加西湖は教えてくれました。

自然部会長 田中眞吾

 

水辺と共に生きるということ

■変わり行く環境と残したい水辺の自然

加西市の自然の大きな特徴は、ため池が多いことで、市内に生息する水生動物の多くが、ため池と何らかの関わりを持って生活しています。

加西市のため池で繁殖するカエルの代表は、ウシガエルとモリアオガエルです。ウシガエルは市中央部に広がる多くの池で姿を見、「ウーウー」という大きな声を聞くことができます。しかしはブラックバスによってオタマジャクシが食べ尽くされているのか、最近は数が減ってきています。  モリアオガエルは、繁殖期以外は、丘陵地の樹上などで生活し、繁殖期のみ水辺にやってきて、水面上方の木の枝先などに泡状の卵塊を産み付けます。よくやってくるのは、谷の上の方にある樹木に囲まれた池で、六月になると中国自動車道より北側の多くの谷で、卵塊を見ることができます。

モリアオガエルの産卵

モリアオガエルの産卵

 トンボの幼虫が育つ場所は、川、水田、湿地、池などと様々ですが、トンボの種類によって好みの水域がほぼ決っています。また、同じため池でも、水面の開けた大きな池を好む種や、茂った水草で水面の大半が覆われたような池を好む種類もあります。  加西市内には様々な様相の池があり、数多くの種類のトンボが生息しています。なかでもチョウトンボがひらひら舞う、植物の繁茂する池は、トンボの種類が多く、ギンヤンマやイトトンボの仲間など、多くのトンボの姿を見ることができます。絶滅危惧種のベッコウトンボやナニワトンボすむのもこのような池です。

オオマリコケムシ

オオマリコケムシ

数十年前には全く見かけなかったのに、最近になって多くの池で姿を見るようになった動物は、ブラックバスやブルーギルだけではありません。夏から秋にかけて、池の中をのぞくと、寒天状の大きなかたまりが水底に転がっているのをしばしば見かけます。十数年前、播磨地方にはじめて出現したころは、不気味な生物として新聞紙上に大きく取り上げられましたが、最近では全く珍しくなくなりました。これはオオマリコケムシという北アメリカ原産の帰化動物で、成長すると1メートルになります。繁殖や越冬のために体内で作られる休芽が、鳥の足などに付着して、急速に広がっているものと思われます。  この他、加西市のため池には、コバンムシなど、他の地域では消えてしまった動物が多数残っています。いつまでも居続けて欲しいと思います。

自然委員 市川憲平

 

『加西市史』発刊によせて

このたび、『加西市史』初刊配本として第三巻自然編が発刊されます。本書には、郷土の自然を知る上で、非常に貴重な資料を数多く掲載することができました。郷土の愛読書として、是非お手元に置かれることをお奨めいたします。

加西市史編さん委員会 委員長 福永文夫

問合先 教育委員会 生涯学習課 市史文化財係

TEL:0790-42-8775 FAX:0790-43-1803 mail:shogai@city.kasai.lg.jp

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