第15回「愛の詩」

優秀賞

題名/母さんの写真を仰ぐ
氏名/谷川 秋夫


僕はハンセン病の為、一九三八年七月六日両親と叔父に付き添われ、愛生園に入園した。当時愛生園は白砂青松さながらの風光明媚な島であった。

中に住んでいる病友たちは助け合い、軽症者は重病者を温かく看取っていた。しかし、衣食住は乏しく、療養所というより収容所であり、園長の検束権があり、終戦前後は結核や赤痢が流行り、死者が毎日のように出た。

母さんは僕が病気になった時、かわれるものならばかわってやりたいと、泣きながら僕を抱いてくれ、毎晩近くのお宮さんに御灯明をあげた。

島に来てから、初めは一ヶ月一回位の金釘の字で手紙をくれ、秋には家になった柿や蜜柑を送ってくれ、正月には肌着やセーター、それに家で搗いた丸餅を沢山送ってくれた。

ところが兄が戦死し、父が脳梗塞で死んでからは便りが次第に遠退いていった。

僕は特効薬プロミンで本病は無菌となったが失明し、詩や短歌を作るようになり、その本を何回か出したが、ふと母さんのことが気になり、謄本を取り寄せたところ、母さんが三十年も前に死んでいることがわかり、声を上げて泣いた。

幼い時から、病気になってから、随分と苦労をかけたことを思うと、またしても涙が頬を伝うのであった。

死線を幾つか超えたものの、特重不自由者になり卒寿を迎え、しかもこの度は歌集「ひまわり」を上梓できたことは、神の恵みは勿論、多くの人の祈りと助けの賜物であるが、母さんが天国から祈り続けてくれていたことが一番ではなかろうか。

そう思うと、母さんの五十五歳の時の写真の額を長年掲げているが、その写真を毎朝仰いで黙祷している昨今である。

母さんがいたから、何かと助けてくれたからこそ、今の私があるのだと、改めて思うのである。

 

問合先 ふるさと創造部 人権推進課
TEL:0790-42-8727 FAX:0790-43-1380 mail:jinken@city.kasai.lg.jp

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