第11回「愛の詩」

佳作

題名/父と温楽
氏名/高橋 てつや(埼玉県)


「やりたいことだけやって、生きていけると思うなよ」

毎朝必ず母さんが淹れる大好きなコーヒーをすすりながら言う、これが厳格な父の口癖だった。母さんは何も言わず隣でいつも黙っていた。僕は小学生の頃から一度も父に褒められた記憶がない。父は僕にとってとても疎ましい存在でしかなかった。

中学3年生の時、これといってやりたいことも見つからず、生きている意味が見出せずに僕は自ら命を絶とうとしたことがあったが、その時にラジオから流れる知らない歌に救われた。見知らぬ人を自分の知らないところで救うことのできるこんな素敵な職業があるのか、とその時の僕は脳天からつま先まで電気が走るような衝撃を受けた。

それ以来、僕は歌手になりたいと心に決めて幼馴染とバンドを組んだ。

厳格な父はバンド活動など認めるはずもなく、「いいかげんにしろ」だの「そんなもので食っていけるわけがない」だのと、頭ごなしに否定した。

それでも僕は諦めずに高校卒業と同時に実家を出て、アルバイトの傍らバンド活動を続けた。

それ以来ほとんど父とは口もきくことはなかったが、たまに実家に帰る度に、相変わらずいつもの「やりたいことだけやって、生きていけると思うなよ」というセリフをぶつけられた。その言葉に反発するように僕は、やりたいことをとことんやった。

それから10年くらいバンドを続け、ようやくインディーズだけれどアルバムを全国リリースさせてもらうことになった。

リリースが決まった頃、母から父が胃癌が発見されたことを聞いた。

幸い手術は成功したものの抗がん剤の副作用でやせ細った父の姿は、もうあの頃の厳格さは薄れていた。

大好きなコーヒーも今は飲めずにお湯を飲んでいる。


アルバム発売日の前日、母から一通のメールが届いた。

『なんだかお父さんがね、夜中にこそこそパソコンでレコード屋さんにお前のCDを予約してたわよ、それも10枚も。そんなに買ってどうするかしらね』


僕は熱くなるまぶたを押さえながら、『アホか』とだけ返信するのが精一杯だった。

 

問合先 ふるさと創造部 人権推進課
TEL:0790-42-8727 FAX:0790-43-1380 mail:jinken@city.kasai.lg.jp

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